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web Cafe Adrenaline vol . 49

2007 7-17 update since 2000


いい日旅立ち
〜Until changing into memories〜


2007年7月11日 (水)、14年間所有してきたユーノスロードスターを手放しました。

まあ、いつかこんな日がやってくるのでは?、と思っていましたが、
不思議なもので、「よし手放そう!」、と決めた途端、流れはイッキに売却へと、ズズズーっと動きました。

なんとなく、縁もゆかりも無い、僕のことを全く知らない人の元へ嫁がせたいと思っていたので、
ネットオークションに出品しました。

すると案の定、
「ワンオーナーで、Sスペシャルというスポーツモデルで、走行距離が8万キロ台で、タイミングベルト交換済み」、
となると、それ相当の価値がある、と判断された方が多いようで、かなりの注目を集めた。
平日の昼に出品してから10分後、すでに100件のアクセスがあり、
なんと2日目で1200件を超えるアクセス数。

そして、じゃんじゃん送られてくる問い合わせ。
主に関東圏の方が多く、そのほとんどが、「私に売ってください!」、というもの。

「真剣に考えています。購入を前提に実車を拝見させてください!」、という、
まるで、「結婚を前提にお付き合いをさせてください!」、みたいなやな、と思った。

なんだか、年頃の娘をもった父親の気分が疑似体験でき、
「で、君は、うちの娘のどこが気に入ったのかね」、とか、
「ズバリ聞くが、君の年収はいくらかね」、とか、
「結婚と恋愛は別だぞ」、とか、定番のセリフをおもわず言ってみたくなったが、
実際には終始、一切の感情を排除し、あえて事務的に答えた。


やがて入札がはじまり、徐々にオークションが盛り上がってきた頃、
ある一件の問い合わせがあった。
内容は、これまでと同じく、「結婚を前提に」、の類いのものだったが、
その文面の一字一句を見ているうちに、なんとなく、ピーンときてしまった。
なんだかよくわからないけど、「嫁がせるなら、この人」、だと。

そして何度かメールのやりとりをして、実車を見に来てくれる事になった。

2007年6月27日 (水)、梅雨の晴れ間の、うだるような暑い日、
岐阜県各務原市から石塚くん(仮名)という青年が、おそらく家のクルマであろうカローラに乗って、
待ち合わせ時間よりも少し早くアドレナリンにみえた。

眼鏡をかけ、色白で、ひょろっとした感じで、
どことなく頼りない感じにも見える彼は、ちょっと恥ずかしそうに頭を下げ、
「はじめまして、石塚です」、とはっきりとした口調で挨拶された。


さっそく視線の先はユーノスの方へ。
開口一番、「うわ〜、きれいですね〜」、と彼。
失礼ながら、年齢と職業を聞いてみると、まだ21歳で大学生だという。

これにはちょっと驚いたが、さらに驚くべき事に、
以前乗っていたのもユーノスロードスターで、1600ccのSスペシャルで、しかも同じ黒色だという。
なんでも少し前にクラッシュしてしまい廃車、しかしまだ未練があったようで、
なんとしても次に買うクルマもユーノス!、と決めているそうだ。

とりあえず、ひと通り見終えたので、彼を助手席に乗せ、その辺をドライブすることにした。

まずはエアコンを切った状態で、下の道の長い直線を、1速、2速、3速とシフトアップしていき、
あえて4速には入れず、3速/5000回転くらいをキープしたままクォオオオオオーン!っと引っ張って、
左の登りヘアピンのアプローチをはじめる。
カーブの入り口付近で、ほんの少しだけアクセルを緩め、一瞬フロントにトラクションが移ったのを確認し、
ノーブレーキのままカーブに進入、アペックスに近づき、そしてまたアクセルをじわっと踏んでいく。
もともと弱アンダーなハンドリングのため、多少カウンターを当てながらの運転となる。

とはいえ、かつて石塚くんが乗っていた1600ccのユーノスと違い、
この1800ccモデルになると、トルセン式のLSDが組まれ、スタビライザーが強化されたため、
クルマの挙動そのものは「超・安定傾向」にある。
だから、そう簡単にはテールが流れない。
むしろ、リアが限界に近づく頃には、フロントのほうが先に悲鳴をあげるので、
派手なドリフト走行には向いていない。
(※この傾向は、次期モデル/NB型・マツダロードスターで見事に改善されている。)

わずか車重1トン弱のスポーツカーに、これだけの安定性をもたらした技術は素晴らしい、とも言えるし、
どうせ車重1トン弱のスポーツカーなら、もっと低い限界点で楽しめる範囲を広げて欲しかった、とも言える。

とにかく強烈な横Gがかかったままの石塚くんは、必死でシートベルトを握りしめ、両足で踏ん張っている、
そして長い登り坂、いっきに4速/6800回転まで引っ張ると、カアアアアアアアーン!!とエンジン音が炸裂。

世間一般では、1800ccの初期型エンジンはトルク重視で、回りたがらない眠たいエンジン、
との酷評を受けているが、僕はそうは感じない。
ナラシをしっかりやって、日常でもできるだけ高回転域を使い、年2回のオイル交換さえちゃんとしていれば、
ノーマルのフライホイールでも十分に楽しめる。

そして徐々にスピードを落とし、広い場所をみつけて停車し、彼に試乗を勧めた。


ほとんど信号機のない農道を、彼は楽しそうに、そして、何かを確かめように、
ハンドルをきり、アクセルを踏み、僕のナビのもと、またアドレナリンへ戻ってきた。

「やっぱ全然違いますね、1600と1800とでは。
なんて言ったらいいのか、やっぱこっちの方が骨太な感じがしますし、
ブレーキのタッチも、ドアを閉めた時の音も、圧倒的に高級な感じがします。」、とのコメント。

まあ、短い試乗ではあったけど、彼なりに、このクルマの長所短所は感じ取れたと思った。
なので最終的な答えを聞いてみた。すると、やはり欲しいと言う。
そして、気持ちは固まった、との事だった。

そうか、わかった。けど、余計なお世話かもしれないけど、お金ある?、と聞くと、
今、ガソリンスタンドでバイトをしてまして、その給料と、
車両保険がおりますのでそのお金を足すと何とかなりそうです、とのこと。

OK、じゃあもうそれ以上聞かないよ、
それなら一応オークションのルールに従って入札してくれるよう頼み、
その結果、そのまま彼が落札者となった。

そして、実際にクルマを引き渡すのは、2週間後の7月11日と約束し、その日、石塚くんは帰っていった。










その後、部屋の掃除をしていたカミさんに、ユーノスが売れたことを伝えると、
とくに喜ぶでもなく、さりとて悲しむでもない、という表情で、「そっかあ・・・」、とだけ言った。

けど、その表情の裏には、きっと何かしらの感情があるんだろうな、と思った。
けど、今それを確かめたところで、その場の雰囲気が妙に湿っぽくなるのが嫌だったので
僕の方から部屋を立ち去った。

で、その日の夕方、よし、最後の洗車をしようと思い、
大して汚れていなかったけど、入念にシャンプーをし、ワックスをかけ、車内に掃除機をかけ、
「あー、もう乗れないんだな、」、とちょっと感傷的になっていたところへ、息子の陽介がやってきた。

だだだーっと走ってきて、「よーすけもてつだう!」、と言う。
「ありがと、でも、もう終わったからいいよ」、と言うと、
「ふーん」と、つまらなさそうな顔をし、次に、ぼそっと、
「ねえ、なんでこのくるま、バイバイしちゃうのぉ?」、と聞いてきた。

たぶんカミさんが言ったのだろう。
困ったな、と思ったけど、正直に言うことにした。
「このクルマさ、2人しか乗れないじゃん、
だから最近ぜんぜん乗ってないじゃん、だからバイバイすることにしたの。わかる?」、と聞くと、
つまらなそうな顔をしたまま、こくん、とうなづき、そしてまた、家の中へだだだーっと走っていった。

ふと、笠置山(かさぎやま)の方を見ると、とんでもなく夕陽がきれいで、
おもわず涙がこみ上げてきたが、ぐっと我慢して、
そそくさと洗車グッズを片付け、ユーノスにボディカバーをかけ、陽介といっしょに風呂に入った。















そして、別れの日。

am11:30にみえるという約束だったので、11:00頃に撮影したのが上記の4枚の画像。
そういう先入観で見るからかも知れないけど、なんだか、すごく悲しく見えるよね。(笑)

そして、また約束の時間よりも少し早めに、石塚くんが到着した。
この日は、本人がユーノスに乗って帰るため、お父さんの運転するエスティマでの登場だった。

雨の降る中、石塚くんにそっくりなお父さんが運転席から降りてこられ、
傘をさし、「このたびは息子がお世話になります」、とご丁寧な挨拶をされた。

スタンバイOK!のユーノスを見たお父さんは、
「前のやつより、きれいだな」、と静かにつづやき、笑みがこぼれた。
「ありがとうございます」、と僕が答え、「立ち話もなんですので中へどうぞ」と、店内へ案内した。

定休日の店内は、シーンと静まりかえり、
僕が、お二人にお出しするためのアイスコーヒーを準備をする音だけが響いた。

いっこうに止む気配のない雨、さすがに窓を締め切ったままだと蒸し暑いので、エアコンを入れた。

飾ってあるビル・エバンスのレコードを見て、お父さんが、
「いいオーディオがありますね、これでジャズを聴いたらいいでしょうね」、と言った。
僕はテーブルにアイスコーヒーを置きながら、「そうですね」、と笑顔で答えた。

そして、クルマの譲渡に必要な書類を広げ、お二人に確認していただき、
それと交換で、代金を頂いた。

おそらく相場よりもお値打ちに買っていただけたと思う。
しかし、なにせ彼は大学生の身なので、今回のお金を集めるにも必死だったと思うし、
今後の維持費のことを考えると、先行きの不安は否めない。

現金を数え終えた僕は、
「ありがとうございます、確かにございます。」と、お二人に伝え、
石塚くんの目を見て、「これ、全部自分で用意した?」、と冗談っぽく尋ねると、
僕の目を見て、「はい。」と言った。横でお父さんも、うん、と頷いた。
それを見て僕は、ちょっと大きな声で、
「そう、男はそうでなくっちゃ!」、とまた冗談っぽく言うと、みんなで笑った。








いよいよお別れの瞬間である。

僕がガレージからユーノスを出す。これが最後の運転である。
途端に雨が激しく降りはじめ、ボディ表面の水滴が球になって落ちていくのが見えた。

僕はユーノスの後ろに立ち、彼に運転席を勧めた。
彼が「それでは!」、とお礼を言い、背中を丸め、運転席に潜り込もうとしかが、また顔を上げて、
「あ、またお店に来ます!」、と元気な声で言ってくれた。
その間ずっと僕の足には、ユーノスのマフラーから吐き出される排気ガスがあたっていた。

ふと見ると、軒下でカミさんが満面の笑みを浮かべて、石塚くん親子に手を振っていた。

そして、ユーノスはゆっくりと動き出し、徐々に僕の足から排気ガスの震動が遠ざかっていった。

ちょっとギクシャクしながらクラッチミートして、石塚くんのユーノスは路上へ出て行った。

そして、その後を追うように、そして、護衛するかの如く、巨大なエスティマも出て行った。

ワイパーが激しく動く車内から、石塚くんの頭がぴょこんと下がった。

そして完全に視界からユーノスが消えた。









この画像は、中津川へ移転する直前の、2003年の春、
当時住んでいた名古屋市天白区の自宅近くの公園で撮影したもの。桜がきれいに咲いている。

今回、ユーノスを手放したのは、
なんとなく、ここ最近、アドレナリンを含めた僕の人生が、なんらかのシフトチェンジをしたように感じたからだ。

それが具体的に何なのか、自分でもわからないが、直感として強く感じたので、
それに逆らわず、従ったにすぎない。

それにはカミさんも同感だったようで、一切反対しなかった。

この4年間での走行距離が、1500キロ弱、という数字が全てを物語っているのかも知れない。

僕自身、いろんな感情はあるけど、一言でいえは、幸せな14年間だったと思う。

新車で買った当時、嫌になるくらいシフトチェンジがしづらく、
まだ、車内全体がビニールに覆われていた頃から、

やがて、全ての機関が馴染んできて、僕の思うままに、動いてくれる状態になり、

やがて、あちこちの部品の賞味期限が切れ、かつてのような絶好調な感じは薄れ、
じわじわと修理代がかさむようになり、息子の誕生とともに、完全にセカンドカー扱いになり、
その後、寸暇を惜しんでなんとかコンディション維持のため、ドライブに連れ出す最近に至るまで、
終始、僕に従順で、よく働いてくれたクルマだった。

今、またユーノスに乗ってみたい?、と聞かれたら、答えはノーである。

なぜならば、良い思いでは、そのままにしておきたいから。



ありがとうユーノス、そして、さよならユーノス。


















カフェ・アドレナリン.店主/水野雄一




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