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web Cafe Adrenaline vol.7

先日、商売ガタキである(?)「カフェ・ダウ二ー」の4号店がオープンしたので行ってきた。オーナーの磯貝さんとは、数年前から仲良くして頂いている。ともに同じ「カフェ」を名乗りながらも、全く違った方向性というのが面白い。いや正確には、当店だけが独自のマイナー路線を爆走しているため、どこのカフェと比べても違って見える、というのが正しい。まあ、私にとってカフェ・アドレナリンを運営していく上で、独自のマイナースピリッツを忘れぬため(本当はそんなカッコイイのもではないが)、カフェ・ダウ二ーのようなメジャーなお店も知っておく必要がある。郊外にドカーンと構える「カフェ・ダウニー」の敷地面積は220坪!ひえーっ、という感じであり、どーだー!という広さだ。ロス・アンジェルス在住10年という華々しい過去を持つ磯貝さんは、じつに巧みに、そしてさらりとアメリカンテイストを演出している。ケーキやサンドウィッチ、店内装飾に至るまで、そつなくまとめられている。客層も圧倒的に女性が多く、その雰囲気は華やかで、タバコの煙モンモンの、使ったおしぼりが真っ黒けになってしまうような、どこぞの店とは大きく違う。10分ほどの立ち話ではあったが、磯貝さんは近況を語ってくれた。「ぜんぜんだよ!もっとケーキを売らないとダメだね!あ、○○ちゃん、ショーケースの前に誰か一人立たせてやって!」、入れ替わりたちかわり、近所の主婦やら、カップルが入店してくる。私との会話の最中も、あくまで視線だけは全スタッフに集中しているようだ。いつもにこやかな磯貝さんも、いったん現場に立てば戦闘モードに切り替わる。その辺はお互いプロ同士なので、いわずものがな空気でわかる。それじゃ、頑張ってください!と話を切り上げ、私は席にもどり、レジに行き会計を済ませた。帰る前にもう一度あいさつをしようと思ったが、磯貝さんはキッチンの中で、さらなる戦闘モードに突入された様子だったので、そのまま店を出ることにした。駐車場に行き、クルマに乗り込みエンジンをかける、すると、ダダダダダ!と磯貝さんが走ってきて、「ありがとうございました!」と頭をさげられるではないか!びっくりした。これほどまでに大規模に成長したカフェのオーナーにも関わらず、あんなに働き、こんなことまで気配りができる、さすが自分とは格が違うなあと思った。

「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」。ダウニーの磯貝さんを見てそう思った。



2000年8月1日/カフェ・アドレナリン・店主・水野雄一



■順番?そう、順番!■


「スリーピー」こと、松本英彦の話

2000年2月29日、午前10時33分、東京都多摩南部地域病院にて、戦後の日本人ジャズテナーサックスの第一人者である松本英彦が亡くなった。73歳であった。そして、彼の死後しばらくしてから追悼番組が放映された。ショックだった。なにがショックって、彼の姿がである。鼻からはチューブが通り、顔は凹凸が無いくらい腫れあがり、よだれは垂れ流し、目は開いているものの焦点は定まっていない。かつてのダンディなジャズマン・松本英彦の姿はそこにはなく、思わず画面から目をそらしてしまった。

実は2年ほど前、彼はある病気のため入院していた。ジャズ界ではたいへんな大御所だ。当然、見舞い客も後をたえない。そんなある日、ごく親しい2・3人の前で、フルートであの名曲「スターダスト」を演奏したという。この時彼は、すでに前歯を失っており、リードを上手く咥えることすら難しいのに、持ち前の器用さで、難なく演奏してみせた。「早く(病気を)直して、ここを出なきゃ!」と、彼は生きる希望に燃えていた。

そしてその翌日、松本は手術の予定を控えていた。ところが、その夜はなかなか寝付けなかったらしく、ナースを呼んで睡眠薬を投与してもらうことになった。しかし、どういうことか、この日に限って効果がない。ふたたびナースを呼びよせ、2回目の睡眠薬の投与がなされた。が、それでも松本は眠りにつけなかった。そして、ついに3回目の睡眠薬の投与された・・・。

手術当日の朝、松本はぐっすり眠っていた。ナースが起しにくるが、呼びかけても反応が無い。

反応が・無かった・・・

この事実をどう解釈していいものか、佳子(よしこ)夫人は途方に暮れる。

目の前のベッドに横たわるのは、確かに夫、松本英彦には違いない。違いないのだが、もう自分で歩くことも、話すことも、笑うことも、楽器を奏でることも、フルートでスターダストを吹くことも出来ない松本英彦。こういう表現は避けたいのだが、植物人間と言わざるを得ない状態になっていた。

ニックネームはスリーピー。松本は、いつも眠そうに目を閉じて、楽器を奏でるからだ。あんな、とろけるようなテナーを吹ける人は滅多にいないし、なにせあの帝王!(しかも絶頂期の、超わがまま時代の)マイルス・デイビスと同じステージで互角に演奏できた日本人なんか他にはいない!そんなスゲーヤツが、そんなビッグなヤツが、たかが睡眠薬ごときに負けるなんて、絶対ありえない!ウソだ!ウソであってくれ!

これは重大な医療ミスだ!いくら寝つきが悪いからといって、病人に通常の3倍もの睡眠薬を投与したらどうなるか!

この事件の発覚後、すぐにテレビ局が動いた!佳子夫人の了承を得て、看病するシーンや、入院先の病院で日野皓正らジャズ仲間が集まってスリーピーを励ますミニライブの模様や、医療ミスを犯したとされる病院に対しての訴訟の準備などなど、松本が亡くなるまでの約2年間の風景が、こと細かくカメラに収められていた。よって、それはあまりにも生々しく、リアルであった為か、平日の深夜という時間帯にしか放映されなかった。でも、本当はその逆だ!このような話は、オブラートに包んでも意味が無い!もっとみんなに命の尊さと、医療ミスの怖さを知ってもらう為、せっかく佳子夫人の協力もあったのだから、事実は事実として、正々堂々とゴールデンタイムに放送すべきだったと思うし、マスコミもこの事件に対して、もっと、しっかりと報道すべきだったと思う!


そしてその後、このスリーピーの悲しい話を当店のお客さんと話す機会があった。その方は20年近く前に、松本と会ったことがあるそうだ。すごく残念だね、終始そんな言葉が交わされた。「・・・まあとりあえず、罪を犯した病院側はそれ相当の罰を受けないとね。でもさ、遅かれ早かれ、みーんな順番だよ、順番!」と、その方が言った。

「えっ?順番?」

「そう、順番!いつかはみんな死んじゃだろ、だから、またあの世で逢えるはずさ。」

なんだか今まで釈然としない気持ちでいっぱいだったが、その方のポソッと言われた「順番」という言葉に妙な安堵感をおぼえた。

なぜだろう?

生と死に、順番などあるのだろうか?

けど、少し救われたような気がした。






■松本英彦■ジャズ・テナーサックスプレーヤー■1926年10月12日、岡山県に生まれる。1949年(昭和24年)、日本で最初のビバップ・バンド「CBナイン」に参加。その後、1953年、ジョージ川口、中村八大、小野満とともに「ビッグ・フォー」を結成。東京・有楽町の日劇で行われた旗揚げ公演は、つめかけたファンが長蛇の列を作ったことは有名な話。1963年には、米国ジャズフェスティバルに招かれ、海外でも大活躍。当時の人種差別問題からして、ジャップと呼ばれていた日本人がここまで親交を深めることができたのは、ジャズのおかげであり、松本の人柄と、彼のスーパーテクニックによるところが大きい。1988年・芸術選奨文部大臣賞、1991年・紫綬褒章を受賞。2000年2月29日、多臓器不全のため死去。心よりご冥福を申し上げます。






■納涼・特別企画/アルファロメオの恐怖■


クルマにまつわる不思議な話は多い。商売柄、いろんなお客さんから、いろんな不思議な体験談を聞く。

今回はそのごく一部を紹介するとしよう。



M君は、キビキビ走るミニクーパーが大好きだった。しかし、「あと、もう少しパワーがあったらいいな」とも、思っていた。某・明治大学、水泳部のトップスイマーとして活躍し、全日本国体選手権・バタフライの部・個人優勝の経歴を持つM君は、走りもバリバリの体育会系である。理屈よりも感覚で振り回すタイプ。一度だけ助手席に乗せてもらったことがあるのだが、アクセルはほとんど全開、ブレーキは限界ぎりぎり、コーナリングスピードもミニとは思えないほど高く、しかもクイックにターンする。(さすがはスイマー)。良く言えば「無駄のないシャープな走り」で、悪く言えば「ゆとりがなく荒っぽい」、である。

まあ、とにかく抜群の運動神経をフルに使って走るM君のミニは随分と活発で、交通マナーには若干の問題があるものの、総じて好感が持てた。

しかーし!M君が突然、こう洩らした。
「マスター、
アルファロメオってどーなんですかねぇ?」

・・・と言われても・・・、っていうかM君にはミニがあるじゃん!そう伝えると、なんのことはない!どうやら、とっくに意思は固まっているらしく、既にミニとの離婚届には判が押してあると言う!そんなああああ!と思ったが、もうヨリを戻すつもりはないらしい。

若さゆえの、思いつめたら脇目も振らず、損得ぬきのピュアマインドが炸裂したようだ。

じゃあ、アルファのどのモデル?と聞くと、嬉しそうに「ダンツキです!」と答えた。

私は、あっちゃー!と、思った。目まいすらした。

念のため「ダンツキ」の説明をさせていただくと、(ちょっとややこしいのですが)、本名を「アルファロメオ・ジュリア・スプリントGT」及び、「GT1300ジュニア」などと言う。フロントグリル上のパネルと、エンジンフードとの間にパネルの厚み分の段差をつけた。この段差こそがニックネーム、「ダンツキ」の由来である。なぜこの段差をつけたかは明らかではないが、たぶんデザイン的な理由であろう。1963〜70年ごろまで製造され、その輝かしいレース戦歴と、美しいプレスラインは、今でも熱心なアルフェスタたちの憧れである。

(失礼かもしれないが)、けしてクルマにやさしい運転をするわけではない(であろう)M君のこと、ミニだからこそ耐えられたサディステックな行為も、病弱で、デリケートだとと言われるアルファと再婚して、本当に楽しい新婚生活(カーライフ)が送れるのだろうか?要らぬお世話と言われそうだが、心配である。

それから約1ヶ月、M君は華々しく、アルファを引き連れてカフェ・アドレナリン・にやってきた。ちょうど土曜日の夜だったということもあり、店内のお客さんからも祝福を受けていた。いいですねー、きれいですねー、と声が飛び交う。M君はデレデレだ。お世辞にも極上のコンディションとは言えないまでも、これならいい買い物をしたのではないかと思った。

しかし!その5日後、いきなりTHE ENDとなる!!

幸せな新婚生活を送っていたM君のアルファは、わき見運転のタクシーにオカマを掘られ、
廃車となってしまう!

がーん!という衝撃がカフェ・アドレナリン・を襲った。M君の話によれば、夕方、信号待ちをしていたら、後ろから猛スピードでタクシーがドーン!!それでパア!!ボディ自体がゆがんでしまう程のひどい事故であったという。幸いにもM君には怪我は無かったが、もう、最愛のアルファは再生不可能の状態・・・。(正確には、修理費の見積りが、購入金額とほぼ同額になった為、未練タラタラではあるが、他のクルマを探したほうが得だということになった。)たった5日じゃ、たった5日じゃあよおお、想い出もへったくれもあったもんじゃないぜえええいいい!うりゃあああああ!!!と、タクシーの運ちゃんに飛びかかったM君の気持ちはわからんでもない。

普通、こんな事故の後は、めげる。

しかし、M君は、まわりの心配をよそに、再び新たなるアルファを探し始めた!きっと、自分のものになったという実感もないままに廃車になったぶん、立ち直りも早かったのだろうか。そして運良く、すぐに次のクルマが見つかった!今度のはダンツキではなく、その少しあとのモデル・「アルファロメオ1750GTV」であった。いやあ、よかった!よかった!コンディションもこっちの方が全然いい!ダンツキじゃないのは残念だけど、これはこれでカッコイイ!これもなにかの縁だよ、M君!今度こそアルファロメオを満喫しなよ!

しかーし!その1ヶ月後、またもやTHE ENDとなる!!!

幸せな再婚生活を送っていたM君のアルファは、正体不明の暴走車にタックルを喰らい、
廃車となってしまう!

ウソみたいだが本当の話だ!がーん!がーん!!と再びカフェ・アドレナリン・に衝撃が走る!M君の話によれば、夜11時ごろ、片側3車線の道路の一番右側(つまり第3通行帯)を時速50キロくらいでノンビリ巡航していた。そして何気なくバックミラーを見ると、物凄い勢いで近づいてくるヘッドライトを発見!おそらく時速120キロは軽く出ていたと言う。そしてそのクルマが隣の車線を走行しているのを確認し、すこし離れるような感じで運転を続けた。と、その瞬間!いきなりそのクルマはM君の車線に向かって進路を変え、次の瞬間、M君のアルファの左リアに思いっきりヒット、その衝撃でアルファは中央分離帯に弾き飛ばされ、木の植え込みをもなぎ倒し、ついに対向車線に飛び出した!その時、幸いにも対向車は無く、M君にも怪我は無かった。しかし!しかし!アルファは一瞬にしてスクラップと化していた!

その後、犯人のクルマは逃走したとみられ、ただちに警察に連絡した。しかし、警察の対応は信じられないものだった。結果的に人身事故ではなかったため、ただの衝突事故と判断され、適当な事情徴収をしただけに終わり、結局、犯人を見つけることはできなかった。一歩間違えば、死亡事故につながるケースだ。あれほど、事故を起すな!シートベルトをしろ!一旦停止をしろ!制限速度を守れ!と言ってくれるわりには、これほど悪質なドライバーをミスミス見逃し、被害者だけがバカをみる。警察は、誰かが死なないと本気で捜してくれないのか!事故現場にはたくさんの痕跡があったはずだ!忙しい、忙しい、という言い訳がまかり通るなら、姑息なネズミ捕りなんかやめちまえ!事件は会議室で起きてるんじゃねえ!現場で起きてるんだ!タラリラタラリラタラリラタラリラ、ジャン、ジャージャ、ジャン!!

・・・さすがのM君も、今回ばかりは相当なショックだったようだ。・・・当然である。

さて、ここまでお読みになって、もしあなたがM君だったらどうするだろうか?偶然とはいえ、これほどまでに短期間のうちに2台ものアルファをオシャカにされ、怪我は無かったというものの、一歩間違えば生死に関わる事故にも遭遇している。しかも2回とも同じような追突事故だ。そしてM君は、なにも悪くない。・・・ちょっと気味が悪いと思っても不思議じゃない。仮に私だったら、あきらめる。かも知れない。・・・それくらい迷う。

しかーし!勇敢なM君は、「すいませーん!アルファおかわりぃ!」と、3杯目のアルファを注文したのだ!

よーし、もう好きにしろ!乗って乗って、ゲップが出るまで乗って、10台でも、20台でも、気が済むまで乗ってやれ!ベルトーネが、泣いて、すがって、もうやめて下さいって言いに来るまで乗ってやれ!なぜならば、なぜならばああ、M君にはその資格があるからさあああ!!




こうして、3度目の正直、M君の元に念願の「1967年式・アルファロメオ・ジュリアスプリントGTヴェローチェ」通称・ダンツキがやって来た!

これは、非常に美しいクルマだった。そして、再びM君の助手席に乗り、その走りっぷりを味わった。4000回転くらいからの乾いたエンジン音は実に気持ちよく、ボディ剛性もロールゲージで補強されており、思ったよりもガッチリしている。シートのヘタリも感じられず、乗り心地は上々だ。いいなあ、うらやましいなあ、と思わず本音が出た。M君も嬉しそうだった。途中、「これ何のスイッチ?」と、ダッシュボードに並ぶスイッチを聞くと、「それは電動ファン、これはバッテリーのキルスイッチ」と実に落ち着いて答えてくれた。

そして赤信号で停止し、青でふたたび再スタートをきる、その時の何気ないシフトさばきを見て、ちょっと感動した。一旦、2速に入れて、1速へ。そんなことはオールドアルファなら常識だ。1速にはシンクロが無く、2速経由で入れなくてはならない。発進するにはこの方法だ。わかっちゃいる、わかっちゃいるけど、あの!やんちゃな運転の!イメージが強かったM君が、なんのギアノイズもたてず、スムーズに、「コクリ」と、シフトするさまを見て感動した。よくよく考えると、M君の運転は以前と少し変わっていた。すべてがスムーズだ。隣に乗っていて、ミニの時に味わった恐怖感は微塵もない。

どうやら当初心配していたことは、本当に要らぬお世話だったようだ。クルマが変わり、いつの間にやらM君の運転も変わっていた。機械を労わる運転を身に付けたようだ。こんなふうにして、ローテクなクルマから教わることは本当に多い。運転だけではない、エンジン、ミッション、ブレーキなど、各部のコンディションを把握しながら付き合っていく必要がある。最初は面倒かも知れないが、慣れてしまえば苦ではない。

「そんなあああ!」とか、「こんなことがあるのかあああ」とか、なにかと怪しく思った「M君のアルファ騒動」だったが、今にして思えばわずか2ヶ月間で、3台のオールドアルファを楽しめたことは貴重な経験である。

あれから2年近く経過した現在もなお、M君とダンツキは、蜜月のカーライフをエンジョイしている。

乗り越えた障害が多ければ多いほど、そのラブラブ度は高い(?)のだろうか。






え?なに?M君は小さい頃、ヘビをいじめたんじゃないかって?

うーん、無きにしも有らず・・・。

早速、本人に聞いてみます。





■納涼・特別企画・第2弾/九死に一生を得たCR−X■

クルマ好きならば、峠道を攻めていてヒヤッとした事は何度かあると思う。スピードとスリル、確かにすごく魅力的な感覚だ。しかし、当然のことながら、それに伴いリスクも発生する。プレステとは違うので、実際に事故れば肉体的ダメージ、金銭的ダメージ、それに伴う精神的ダメージも受けることになる。結構つらいものだ。悲しいかな、これは運転技術とはあまり関係ない。無論、運転が上手な人のほうが事故る率は少ないかも知れないが、交通事故というのはそんな単純なものではない。正直言って、「運・不運」、という、誰にも操作できない、やっかいな要素も大きく関係してくる。

かといって、運転技術を磨く必要はないぜベイベー、とは言わないが、どんなにテクニックを持った人でも過信は禁物だということである。今回ご紹介するのは、ちょっと普通では考えられない不思議な力によって、九死に一生を得た人の実話である。


今から10年程前、大学時代のKさんは、当時デビューしたての「ホンダの2代目・CR−X」を親に買ってもらう。(ええなぁ)、さぞや嬉しかったのだろう。おかげで走行距離は年間で3万キロ強と、大学生らしからぬ、まるで営業車のような伸び具合であったという。(て言うか勉強はいつしとんねん!)

そんなある日、いつもより早起きをし、近くの峠道を軽く流してから学校に行こうと思い、身支度を急いだ。今日は久しぶりの快晴だ。ここのところ大雨が続いたせいで満足に乗れていない。よーし、今日はおもいっきり走るぞ!そんな浮かれ気分で、いってきまーす!と家を出たところ、「あ、しまった、財布忘れた!」と、部屋へ取りにもどる。そして、またあわてて駐車場に行き、愛車・CR−Xに乗り込もうとするのだが・・・、「ちぇーっ、今度はカギ忘れたよ!」と、再び部屋へもどる。そんなこんなで、ようやくドアを開け、シートに滑り込み、イグニッションをONに回す。ところが今度はエンジンが掛からない!あれ?どうしたんだろう?イライラしながら、何度もキーを回す。セルモーターは勢い良く回るのにエンジンに火が入らない・・。

蛇足かとおもうが、このクルマは、当然インジェクションであり、毎日使用していたことを考えれば、一発で掛からないのは変である。

と、その時、ブ、ブォオオオンン!!と、ようやくエンジンが目を覚ます。やれやれ、随分とタイムロスしてしまったな、よーし、挽回するぞ!と、かっ飛びダッシュで走るも、こういう日に限って、やたら赤信号に引っかかる。

まるで何かに行く手を阻まれているかのごとく・・・。

イライライライライライライライラ・・・
もうだめだ!我慢の限界だ!

普段は冷静で温厚なKさんなのだが、さすがにこの日はフラストレーションを感じずにはいられなかったと言う。そして、そんなイライラも頂点に達したころ、ようやく、本当にようやく峠に到着する。

そして、まるで首輪を放たれた犬の如く、一目散にワインディングへと吸い込まれていく。

ここはよく走り慣れた道!どこが良くて、どこが危険かは熟知している。

かなりいいペースで飛ばしていく。

いつものようにホンダ・ツインカムが、心地良く、山々に響きわたる。

よかった、今日は来て正解だ!


コーナーをひとつ、またひとつとクリアして行く。そして、いよいよメインディッシュのストレート!そして、その先のブラインドコーナーへの突っ込み!カアアアアアアアアアアン!!!と加速していく!
そしてKさんは、ブラインドコーナー入り口の一点だけを見つめて、猛然とアクセルを踏んだ!

クァアアアアアアアアアアン!と、その時!耳元でハッキリと、聞き覚えのある声で、


「(仮名)やすし・・」と誰かがKさんの名前を呼んだ!

えッ?!と、一瞬びっくりしてアクセルを戻す!


クァアア・ア・ア・ア・・ア・・・ン・・・・、せっかく出したスピードがみるみる減速していく・・・。

何だ?空耳か?


ああ、もうブラインドコーナーだよ・・・ちぇッ、と、仕方なく減速したまま、ゆっくりコーナーに進入する・・・。

しかし!、そこでKさんが見たものは!!!



なんと!土砂崩れによって、2メーターはあろうかという巨大な岩が道をふさいでいたのだ!!

思わず、パニックブレーキッ、!!!!!!

四輪フルロックのまま突っ込んで行く!!

なんとか、


・・・なんとか、ぶつかる寸前でCR−Xは停止できた。




それはまるで突然現れた「壁」のようだった。もし、通常のスピードで突っ込んでいたなら・・・・間違いなく、木っ端微塵だ。


頭の中は、真っ白、心臓バクバク、ひざガクガク状態・・・。


早朝ということもあり、まだ誰も気付いていない様子だ。はやく知らせないと危険だ!と、その時!かすかに遠くの方から近づいてくるエンジン音が聞こえてくるではないか!危ない!はやく知らせないと、このままだとぶつかるぞ!そう思ったKさんは、慌ててクルマから降り、大きく手を振り、「止まれーッ!」と叫んだ。案の定、地元の軽トラックが凄いスピードで近づいてくる!「止まれー!、止まれーッ!」




そしてその後、すぐに警察に連絡をし、ひとりの死傷者も出すことなく、大惨事を間逃れることができたという。それにしても!それにしてもである!あの声は、いったい誰なのか。

しかし、Kさんには不思議と心当たりがあったと言う。

それは数年前に他界した祖母の声に間違いないと・・・

今朝、なかなか出発できなかったのは、このKさんを痛ましい事故から守るため、必死に食い止めようとしたのだろうと推測される。しかし、無情にもKさんの運転するCR−Xは、この日、行ってはいけない峠に向かってしまう。途中、何度もメッセージらしきものを送るも、Kさんには届かなかった。そしてもう、これでいよいよ後がないという土壇場で、あの声が聞こえたのだった。本当にすぐそばで、はっきりと、落ち着いた口調で呼びかけられたと言う。

それ以来、Kさんは原因不明のトラブルや、イライラする場面にでくわした時ほど、よりいっそうの平常心を持つように心がけていると言う。この話を単なる偶然だと言ってしまえばそれまでだが、クルマを運転する人なら、状況がなんであれ、誰でも起こりうる出来事だ。個人的には、守護神とか背後霊という存在は、あまり信じない方だが、この話を聞いてからは、まんざらウソでもないのかも、と思ったりしている。事実、ひとりの命が救われたのだから。

そして、先祖の供養も忘れてはならない。ぞ、と。



余談だが、このCR−Xは今なお、元気に現役である。現在、歯科医を開業しているKさんは通常の診察も行うほか、寝たきりの老人や、身障者の方のための出張治療も積極的に行っている。そして、それに欠かせないのがこのCR−Xだと言う。とてつもなく狭い路地や、駐車スペースなどの問題から、大きなクルマでは行くことのできない患者さん宅もあるそうだ。そんな状況下、必要な機材と薬品と助手を乗せて、スイスイ走っていけるCR−Xは頼りになる相棒と言えよう。

ここだけの話、実は、私もKさんに歯のメンテナンスをお願いしている。職業柄、絶えず、何かしら口にしていることが多く、虫歯になる確率は極めて高い。にも関わらず、今のところ私は虫歯ゼロだ!これも全てKさんのおかげ。場所は、三重県四日市市とちょっと遠いが、年に一回、定期検診のつもりで行けば楽勝である。詳しくは、harmony.kato@docomo.ne.jp まで連絡してみては如何だろうか?歯医者が苦手というあなた!是非、お試しあれ!ビル・エバンスの流れている歯医者なんて、そうは無い!

PS/現在、CR−Xの走行距離は実に30万キロを越えたというから驚きである。



カフェ・アドレナリン・メニュー物語

■トマトとナスのサラダ■

今回は、夏野菜の代表格・トマトとナスのサラダである。ある意味、サザンとチューブのジョイントライブといっても過言ではないくらい、夏らしく、そして元気の出るメニューというわけだ。作り方は簡単!よく熟したトマトを冷蔵庫でよく冷やし、厚さ3ミリくらいにスライスし、皿に並べ、ブロックチーズ(種類は好みに応じて何でも良い。当店ではフランス産・ゴーダを使用)を、目一杯ゴリゴリすりおろし、その上にバジルやホウレンソウを敷き(スパイスの変わり)、その上に、こんがりガーリック・ソテーしたナスを積み上げ、最後に仕上げのチーズをふりかけ、レモンを絞り完成だ!ナスからしたたるオイルと、絞ったレモンによって、このドレッシングは作られ、敷きつめられたトマトの上に落ちる。実に無駄のない、へルシーな味わいだ。

■ナスをソテーする時のポイント■やや多目のオイルで、中火が良い。理由は、いったん加熱し始めるとナスがオイルを吸ってしまい、フライパンにアタルから(業界用語で焦げ付くという意味)。オイルの量は、通常のソテーの1.5〜2倍くらいが適当。火力は、あまりにも強すぎると表面だけが加熱され、中まで火が通らないと美味しくない。味付けは、塩・ブラックペッパーのみ、徐々にナスの切り口がキツネ色になり始めたらガーリックのスライスを入れ、ナス全体によく馴染ませる。ガーリックを最初に入れてしまうと、ナスに火が通る前に焦げてしまうので、完成する少し前の香り付け程度に炒める感じがベターだ。キーワードは、「あせらず、焦がさず、こんがりと!」

ワインとの相性は勿論のこと、夏はやっぱりキンキンに冷えたビールのつまみとして頂きたい!

トマトとナスのサラダ。950円にて絶賛発売中!



■次回予告■


さらば夏・おいでやす秋

なぜ、「夏こそカレー!」なのか?あなたは疑問に思ったことはないだろうか?どうして「天ぷらうどん」じゃダメなのか?単に、某・ハウス食品の戦略に乗せられているだけじゃなかろうか?ただでさえ暑いのに、よけいに汗を掻くことで、本当に「涼」を求めることができるのか。今感じている暑さより、もっと強烈な暑さを体感することで、「なんだよ俺は、たったあれくらいの温度で暑い暑いと思っていたのか!まだまだ修行が足りねーな、ははは・・」と、遠のく意識の中、かすんでいく景色を見ながら、一種の悟りにも似た心境のまま、「無」の境地をさまよい、やがて落ち着きを取り戻し、気付けば猛暑の中においても汗ひとつ流さぬ立派な「夏バテ対策OK人間」が完成する。つまり、「夏こそカレー!」とは、その食事療法と解釈できるわけで、心頭滅却すれば火もまた涼し、とは、昔の人は実によく言ったものである。そしてこの考え方をカーライフと融合させたのが「夏こそオープンカー!及び、エアコンOFF!」という画期的な試みだ。このアスファルトジャングル、灼熱地獄の中、エアコンも無ければ、屋根も無い、わいの!わいのベック550スパイダーで、直射日光じゃんじゃん浴びて、「メイドイン・ブラジルは伊達じゃねーぜ!」と大声を張り上げてクレイジー・ドライブをしてみたい!もし、そうでないクルマをお持ちの方は、この際思い切ってコンプレッサーごと取り外してしまおう!さすれば、更にレスポンスの良い、俊敏なエンジンに生まれ変わること間違いなし、ついでに約10キロの軽量化というオマケ付き!最近、お腹の出てきたあなた!そう、あなたです!ウチでぐうたらテレビばっかり見てないで、即、実行すべし!現代人よ、もっと汗をかけ!さあ、みんなも一緒に!「現代人よ、もっと汗をかけ!」、「夏こそカレー!」、「現代人よ、もっと汗をかけ!」、「夏こそカレー!」、「現代人よ、もっと汗をかけ!」、「夏こそカレー!」、まだまだ!「現代人よ、もっと汗をかけ!」、「夏こそカレー!」、「現代人よ、うおおおおおおおおおお、あっつーい!!!!暑苦しいいいいいいい!!!ホントは夏なんて、ホントは夏なんてぇ、どあい、大嫌いだああああああ!!!!夏のバカヤロー!!!!グッバイ・サマー!!!来年はこないでねー!!!さーよーおーなーらー!!!!!!!




2000年9月1日・更新!お楽しみに!





御意見、ご感想、こんなテーマを取り上げて欲しい!など、ありましたら御気軽にメールして下さい。


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END


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