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web Cafe Adrenaline vol.8

3年ぶりのアクセルワイヤーの交換を行っている写真。
ワイヤーもあえて純正品を使わず、ホームセンターで買ってきた5m/1000円くらいのやつ。これで十分。
いつの日か、後ろにあるシーブリーズの深田恭子のポスターがお宝となる日は来るのだろうか?


今年の夏はホントに暑かった!もともとベックは夏に乗るクルマじゃないから、定休日でもほとんど出動しなかった。ま、「シーズンオフ」というやつですわ。それでも月に一回くらいは、エンジンやその他の部分の調子を保つために、適度な散歩に連れて行ってやらなくてはいけない。別に嫌いじゃないから、いいんだけどさ、それでも一応、私の体調のいい時を見張らからって出かけることにしている。間違っても、前の晩の酒が残っている時なんかに乗っちゃいけません!(当たり前です!愛知県警)

でもって、ウチからちょうどいい距離にあるのが、前にも紹介した「ガレージ・プレアデス.」。寝ぼけ眼でカフェ・アドレナリン・までやってきて、シャッターをがらがらーっと開けて、スロープを出して、入口の扉をがばーっと両方開けて、リアカウルを開けて、バッテリーのキルスイッチをONにして、まだ冷たいベックのボディに手を着いて、エイヤっ!と乗り込み、「神様、無事にエンジンが掛かりますように。そして、今日も無事、ここに帰ってこれますように。」とお祈りして、イグニッションスイッチをONにして、スターターボタンを押す。キュウキュキュ、(アクセルを2〜3回ペカペカっと踏んで、ガソリンをキャブレターに送って、)キュウキュキュ、(たのむ!掛かってくれ!)、ボッ、ボッ、ボッ、ボオ、ボオオオオオンンンン!!!、(サーンキュー神様!)、とエンジンが掛かる。その瞬間から、誰もいない店内に爆音がとどろくので、あまりご近所の迷惑にならないように、ゆっくりゆっくり、丁寧にスロープを降りる。

そしてダッシュで店の戸締りをして、2000回転キープのまま、路地裏をトロトロ走る。完全に各部にオイルが行き渡るまで、決してスピードは出さない。それから、行き付けのガソリンスタンドで給油をし、最近新しく入ったバイトの女の子の名前が「藤原紀子」で、一字違いだなと納得し、また店まで戻ってくる。再度リアカウルを開けて、運行前点検をする。普段の足、ユーノス・ロードスターなら絶対にそんなことしないが、ことベックに限っては、これが本当に役立つし、絶対に必要だ。以前これを怠ったがばっかりに、ひどい目にあったことがある。エンジンをかけてしばらく放って置いたら、燃料ホースのつなぎ目からガソリンが漏れ出していたことに気付かず、それがまた運悪く、リークしたプラグコードの上にかかってバチバチッと出火!幸い初期消火のおかげで、配線の一部を焼いただけで済んだが、これがもし走行中だったらと思うと背中がゾォーっとする。自動車学校で習ったとおり、異音や異臭はないか、燃料ホースは破れていないか、オイル漏れはないか。エンジンルームをひととおりチェックし、タイヤの空気圧を見て、ようやく出発準備OKだ。

毎回これだけの工程を行う。万が一、エンジンを掛け損ねて、プラグをかぶらせてしまった場合「プラグ掃除」、または「プラグ交換」の作業が追加されるため、さらに時間がかかる。だからツーリングなんかある日は1時間くらい前に来て、あれやこれやと準備にかからねばならない。ま、それが楽しいと思ってやってるんだからいいことだと思う。私にとって、ベック550スパイダーに乗ることは、ちょっとした冒険であり、ストレス解消にも一役かっている大事な時間なのである。

関係ないけど、さっき、「新型・カローラ」を見てきた。すっごく良く出来ていたので感心した!このことに関してはまた後日ゆっくりと話したいと思っています。

今月は一部、更新が遅れまして申し訳ありませんでした。これからも宜しく!

2000年9月1日・(改/9月9日)・カフェ・アドレナリン・店主/水野雄一


■三世代に渡るビートルライフ■


江戸っ子も三代続けば本物らしい。お金持ちも、三代目にしてようやく本物の「お坊ちゃま」、「お嬢さま」に仕上がるという。どうやら親子三代で何かを継続することは非常にまれであり、難しい事のようだ。さて今回紹介するのは、私の高校時代からの友人である、山田祐嗣(やまだゆーじ)という、本当にうらやましい奴の話である。

1978年2月、ビートル最後の西ドイツ生産となったこの年、シャーシー番号・1182019694、純白のフォルクスワーゲン・ビートルは、当時の正規ディラー・ヤナセによって「山田喜代吉さん」(山田祐嗣のおじいさん)の元に納車される。購入されたのは、VW1200LEというセダン。この当時のフォルクスワーゲン・ビートルは、セダンと、カブリオレの2種類しかなく、現在のような「グレード」というものは存在していない。屋根はあった方がいいですか?それともオープンの方が良いですか?の、たったこれだけ。すごく大雑把で、乱暴な気もするが、じつはこれで十分だ。今みたいに、ちょっとした装備の違いで細かくグレードが分れることもなく、結果的に得したのか損したのか、よーわからん事態に頭を悩ませることもない。

しかしこの頃から、少しづつ日本車の性能も上がりはじめ、価格においても十分こなれてきた、そんな時代になっていた。さすがの完璧セダン・ビートルと言えども1945年デビューでは、見た目も、中身も古さを感じざるを得ず、それよりなにより周りをとり巻く環境が大きく変化していた。オイルショックや排ガス規制といった問題は、ビートルにとって、もはや致命傷と言っていい状態だった。そんな最中、わが日本では初代ホンダ・シビックがデビューする。これはマズイ!価格はビートルの半額、しかも性能的だってぜんぜんシビックの方が上だ!あーんど、少し前にデビューした初代ゴルフにまで販売台数を抜かれてしまい、フォルクスワーゲン社の大黒柱といえば、もはやビートルではなく、ゴルフに変わっていた。

かつてのように医者や会社社長が乗り回すような、高級車としてのイメージはいつの間にか消え失せ、その活動場所をブラジル、メキシコといった発展途上国に移さねばならない悲しい時期を迎えていた。

つまり、1978年というのはビートルにとって、先進国での役目を果たし終え、事実上の引退を決めた年であった。

それならばということで滑り込みセーフ!最後のモデルの購入を果たしたのが、この山田喜代吉さんである。じつはこの方、1950年代から初期のスプリット、その後のオーバルといったビンテージ・ビートルをリアルタイムで所有してこられた根っからの愛好家である。これまでに氏が所有してこられたクルマは6台!それもすべてビートルという筋金入りだ!

しかし、いわゆる「マニア」ではなく、単に喜代吉さんがクルマに求めるもの、その全てを兼ね備えていたのがビートルだった。いや逆にビートルしかなかったと言っていい。まだ昭和30〜40年頃の日本の技術レベルでは、水冷・空冷を問わずしてエンジン完成度は低く、よくオーバーヒートしたのだという。釣りが趣味だどいう喜代吉さんにとって、山や海でのトラブルはなんとしても避けたいところ。であるなら多少の高額出費は覚悟の上で、このヒトラーとポルシェ博士が作り上げた精密機械・ビートルの購入を決めたというわけである。

悪路の走破性、エンジンパワー、ブレーキ性能、ボディ剛性、どれをとっても、すでに完成の域に達しており、つまらんトラブルに見舞われることはなかったという。戦後しばらくの安かろう悪かろうの日本車より、その3倍以上の代金を支払ってでも絶対的信頼のおけるビートルのほうがマシだったようだ。またビートルもその期待にしっかりとこたえ、喜代吉さん一家は、買い物に、レジャーにと高度経済成長期のはじまるずっと前から、このビートルによって豊かな生活を送っていたという。無論、そんなリッチな生活を支えるべく、自らが起した「理髪店」の経営も好調であったことは言うまでもない。

そして、その山田喜代吉さんの孫にあたるのが、私の古くからの友人である、山田祐嗣である。私から見れば非常にうらやましい環境に置かれている彼なのだが、彼もまたビートル・マニアではない。ていうか本当に「足」として、随分とラフな扱いでビートルを乗っている。

10年くらい前から、この1978年・最終モデルを彼の名義に変更し、所有しているのだが、まーホントに目を覆いたくなる有様である。どこぞのいい加減なショップに全塗装を頼んだが、これが最悪!あの凛々しかった知的な純白のボディから、コテコテのマスタードイエローに変貌し、ホイールもなんだかよくわかんねえフェラーリ風の5本スポークに履き替えられ、社外の爆音マフラーに変更、ななな・なんと!あのリアウィンドウに誇らしげに輝く■YANASE■のステッカーも容赦なく剥がされたではないか!きゃああああああああ、という状態である。

ただ、関心するのは彼がこのクルマを足として使っている点である。

もし、私だったら、彼より大事にすると思うが、そのあまり、普段の足としては使わないだろう。

しかも、純正クーラーが付いているとはいえ、この灼熱地獄の街中においては十分に機能しているとは言い難く、雨の日はガラス曇るし、本気で荷物を積もうと思っていざ載せてみても意外と載らないし、ヒートエクスチェンジャーも穴が空いて排気ガス臭いし・・・、とにかく今の路上に出てみると我慢しなければならないことも沢山ある。「クルマなんて、乗ってなんぼ」、確かにそう思うが、でも「どおせ乗るなら・・」と、楽な方へとなびくのも、これ、仕方がないと言えよう。

よって、根性なしの私ではビートルを足にするなんて到底ムリ。やはり私とは育ちが違うのだ、鍛えられ方が違う!親子三代は伊達じゃない!21世紀を迎えようとしているこの御時世に、なんだかんだ言っても彼のクルマの基準はビートルなのだ!

たぶんDNAからして違うのだ!

夏は暑いし、冬は寒い、ついでに排気ガスも臭い。雨の日?そりゃ普段以上に注意して運転しなきゃダメだ、ブレーキも甘くなる。荷物?余分なものは積み込まない、大きなものは宅配サービス!

どれもこれも時代錯誤な発言にとれるが、実はこれ正論であり、当たり前のことである。

夏は暑いのだ!冬は寒いのだ!それでいいのダ!ぼんぼんバカボンバカボンボンなのダ!私を含め、現代の快適自動車に慣れてしまった人、「快適ボケ」してませんか!

なんだか今更ながら、先進国での役目を終えたはずのビートルに言われているような気がする。




そして数年前、この山田喜代吉さんは亡くなられた。

きっと今ごろ天国で、孫のクレイジー・ビートルを見ておられることだろうが、いったいどんなお気持ちなのだろう?やっぱりオリジナルのまま、綺麗に、大切に、ガレージにしまっておいたほうがいいのだろうか?それとも、見てくれはどーであれ、いささか時代遅れな不便さも感じながらも、毎日元気に走り回るほうがいいのだろうか?非常に興味深いところだ。





そして、現オーナーの山田祐嗣は今後どんなビートルライフを送っていくのだろうか?

おそらくこのページも読んでくれていると思うので、この際、十分にプレッシャーをかけておきたいと思う。

山田、悪いことは言わん、エンジンオイルは3000キロ毎に換えてくれ!な!たのんだぞ!


水野より。


その後、このページを御覧になられた
山田くんよりメールが届きました!
さあ、はりきって紹介します!どおぞ〜!

自分も人のこと言えんようなハードな代物に乗っとるがや!(赤いヤツ!)

ホイールは一応ドイツのATSってまぁまぁのやつなんだぞ!(そりゃフェラーリのニセモンみたいだけどさぁ)

こないだ、バッテリーが死んでまって、メンテはしなかんなぁって思っとったとこなんだけどね!

まぁ 面白く読ませてもらったよ。

あと、じいさんの道楽の裏には、家族の苦労もあったらしいけどね。

孫にはわからんトコだけど。

by.ヤマダユウジ

ありがとうございました〜


■そんなわけで中国茶を■

最近、わたしは「アイス・ジャスミンティー」にハマっている。それにはちょっとしたワケがあった。



私はこの夏があまりに暑かったせいか、不覚にも体調を崩してしまった!(それでも、誰に悟られることなく、普段通りの営業が出来たと思うのでなによりだが・・。)たかだか1週間程度ではあったが代替選手のいない私の場合、非常につらい!最悪、「お休み」にしようかとも思ったが、ここが自営業の悲しい性、本当に最悪の時が来るまで、あーた、ここで入院しないと死んじゃいますよ、くらいのこと言われるまで、なんとか営業しようと店のシャッターを開けにくる。

当然、売上げの心配もしているのだが、それよりなにより、せっかく来てくれたお客さんに申し訳ない!こういった飲食店はアテにされているうちが華であり、アテにされなくなってしまってはホント何の意味もない。こと経営者ともなれば、その休業する1日、2日がたまらなく心配なのである。

しかし、そんな無理がたたり、なんとコーヒーすら飲めなくなってしまった!かなり胃が荒れているようだ。やばいなあ、コーヒー飲みたいなあ、でも飲めない、けど飲みたい、じゃあ飲めば、いや飲めない。こんな葛藤が頭の中をぐるぐる回りだす。

ふと見ると、カウンターの向こうでお客さんがおいしそうにコーヒーを飲んでいるではないか!思わず、「す、すみませんが、私の見ていないところで飲んでもらえませんかねえ・・」と言いそうになった!

そんな折、カミさんがジャスミンティーを入れだした。しばらく前に輸入食材店で買ったものだ。内心、「けっ、そんな女々しい、そんな軟弱なもん飲めるわけねーだろが、男はなあ、いかなる時もブラックコーヒーだろが!たとえ胃袋に穴が空いても、マフラーに穴が空いても、ホルツの耐熱パテで補修してでも、ブラックコーヒーを飲むんじゃいいい!」、そう思った。

ところがカミさんの行動は予想外のものだった。ジャスミンの葉っぱを十分に蒸らした後、カクテル用のグラスに氷をしこたま詰め込み、そこへ湯気の立つジャスミンティーをジャーアアアアアア!と、いっきに流し込む、すると氷はカリカリカリと音を立てて溶けだし、ジャスミンティーは瞬時に急冷される。ちょっと濃い目に出されたはずのジャスミンティーは溶けた無数の氷によって、なんともいえぬ薄い黄色となり、瞬く間にグラスの表面には水滴がつく。仕上げにマドラーでカランカランと2・3回ステアーすると、「おおっ!」と思うくらい、涼しげで、うまそうなアイスジャスミンティーが出来上がる!

内心、「さっきは、すいやせんでしたあああ!!」と大声で謝り、がぶがぶ飲んでみた!

これが、すばらしくウマかった!


正直言って胃腸にダメージを負ったこの時点では、コーヒーよりも断然ウマイと思った!ふわ〜んと香るジャスミンがこれほどまでにリラックスできるものだとは思わなかった。中華料理店とかで出てくるタダの冷たいジャスミンティーとは全く違う。作ってから時間の経ったものには肝心の「ふわ〜ん」がない。実際の味なんて3割楽しめえれば十分、あとは「香り命だ!」、クヮアアアアアアアアアーン!!!と、雄叫びを上げないフェラーリに乗ったらすごくガッカリすると思う。それと一緒だ!

その後、おかげさんで体調は元通り回復した。そしてそれ以降、私はアイスジャスミンティーにはすっかりハマってしまった。というより、今まであまり興味のなかった中国茶というものにハマってしまった。ためしに、ほんのすこしグレードの高いウーロン茶を買って飲んでみた。これが、またウマイ!今まで飲んでいたインチキ・ウーロン茶がいかにショボイものだったか痛感させられる。が、しかし、コーヒーよりも圧倒的に高価なので、そうそう気軽に飲めたものではない。

いくら年々安く輸入されるようになったとは言え、もとは皇帝などに謙譲されていたもの。わずか50グラムで2万円もする高級茶葉もあるのだ!

そんなわけで、これを機にみなさんにも中国茶を知って頂こうと、9月末からの新メニューにレギュラーとして登場する予定である!只今、どんな品揃えにするか検討中!カフェ・アドレナリン・の雰囲気に合った、リラックスできて、それでいてリーズナブルでおいしい茶葉を提供したいと思っているので乞うご期待!



■ジャスミンティー/茉莉花茶■中国茶は大きく分けて6種類。緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶。この6つが基本!でもって、それぞれの茶葉に花の香りを付けたり、花そのもののエキスを飲むもの、それらを総称して花茶(ファチャァ)という。つまりジャスミンティーはこのジャンルに属する。

いまから1000年以上も前、南宋の時代・福建省で発明される。ジャスミンティーは烏龍茶ベースのものと、緑茶ベースのもが一般的で、他にも、薔薇の花そのもののエキスと茶葉を一緒に飲む「メイグイファ/漢字出力できず申し訳ない・・」や、菊の花を天日干しした「菊花/ジゥファ」などの変わったものもある。とくにこの菊茶は目の疲れを取り、消炎効果があるとして日本では古くから漢方薬として認可されている。

まあ、とにかく、ほとんどの中国茶にはそれなりの効能があるとされ、うまく普段の生活に取り込んでいけば健康かつ、ストレス解消にも役立つ。単にノドの渇きを潤すだけじゃない、まさに一石二鳥のすばらしい飲み物なのだ。さすが、中国四千年!




■耐えて蒸し風呂■




8月30日、市内某所にて、世界的に有名なベーシスト・藤原清登のソロライブが行われた。

カフェ・アドレナリン・が休みの日、午後9時ごろ、ある用事で知人と会った。相変らず、夜になっても蒸し暑い。そして、このあとコーヒーでも飲みに行かない?と誘われ、連れて行かれた先が、なんと古い日本家屋を改装したギャラリーサロンであった。高級住宅街にその身をひっそりと隠すかのように佇むその店は、各界の著名人も愛用する、知る人ぞ知るといった有名店であった。彼はこの手の高級店にはやたら詳しく、ベタな庶民の私はいつもいい勉強させてもらっている。

そして、こういった店は必ずと言っていいほど看板は無いに等しく、よーく見ないと発見できない。またそれがそのまま、その店の営業スタイルに通じているから面白い。本当にクチコミだけに頼った、一見、すごくリスキーに思える行為だが、じつはこういった店を始める方は、すでに黒字経営をキープできるだけの人脈をお持ちの方が大半である。それをわざわざ目立つ看板にして、新規のお客さんに、うわああああっと殺到されてしまっては、せっかくの人脈も台無しなのである。つまり、その小さな看板には、オーナーさんの大きな自信が満ち溢れている証拠である。(よって、ここで店名を公表しないわけも理解して頂きたい。)

しかし、この日は「貸切り」の札が掛かっており、入店は無理に思えた。当然だ。あきらめムードの漂う中、別の店を探すか・・・と思っていた。ところが次の瞬間、彼は「ちょっと行ってくる!」といって、中に入っていった!そして3分後、彼はどんな武器を使ったのか、「OK!席、確保したよ!」とニコニコ顔で出てきたのである!・・・さすがである。

だがしかし、なぜ貸切りなのにも関わらず、突然席が用意できたのだろう?不思議に思いながら、がらがらーっと、引き戸を開けた。

するとこれまた、ある意味、予想通りの異空間であった!
昭和初期に建てられたといわれる店内は、見事に時の風化を受け、木の柱は黒光り、庭の石はこけむし、それらを照らす照明はロウソクのごとく暗い電球であった。こんなこと言っては大変失礼かもしれないが、わかりやすく表現すると「ここで怪談話をやったらめちゃくちゃ盛り上がるだろうなあ」という雰囲気であった。稲川淳二でもこないかなあ、という感じであった。懐中電灯を顔の下から当ててみたいなあ、そんな心境に駆り立てられた!

そして私たちは、店を取り仕切っているオーナー夫人の粋な計らいで、入ってすぐの10畳くらいの和室に案内された。とはいえ、男2人でこの失楽園みたいな、ムード満点の和室は少々照れくさいものだ。かといって、いい年してプロレスごっこなんかするわけにもいかず、(本当はやってみたかったが・・)、ひたすら、窓ガラスの向こうの情緒あふれる庭園を、さも知ったかぶりの表情で眺めるのが精一杯だった。とてもじゃないがコーヒー1杯で済まされるような状態ではない。マスター、大ピーンチ!!

そこへオーナー夫人が、おしぼりとメニュー表を運んできてくれた。「本日はニューヨークからお客様がみえておりまして、それで貸切りにさせてもらっております。」、ほお、そうでしたか。で、そのかたはどんな方ですか?と、彼が聞く。「はい、私共も今日、初めてお会いするのですが、クラシックやジャズでベースを演奏される方で、藤原さんとおっしゃいます。今晩はその方のソロライブがこの後しばらくして行われます。よろしければ、特別に席をお作りしますので是非御覧になっていってください。」

なんという偶然、そして、なかば無理やりに入れて頂いて、おまけにライブまで見れる!

今夜はなんとツイているのだろう!

しばらくの間、2人ともウイスキーでチビチビやりながら、すっかりいい気分になってリラックスしていた。やがて、ライブの準備が整いました、とスタッフの方の案内で、例の失楽園の部屋から、会場となる部屋に移動した。そこは少々変わっていて、洋館っぽい雰囲気のフロアーであった。一部がカウンター、あとは4人掛けのテーブルが5つくらいあっただろうか。比較的こじんまりとした空間に、ざっと見た感じ20〜30名は入っていた。照明はほとんど落とされていたため、お客さん達の表情はよくわからない。でも年齢層は圧倒的に40代から上といった感じで、我々と同世代と思われる客は皆無であった。

そして、なんと驚くべきことに!我々に用意された席は、一番中央の、しかも一番前の特等席だった!藤原氏との距離は、わずか2メートル弱!否応無しに緊張モードに突入だ。

すでに彼は、ステージとなるフロアーの端でチューニングをされていた。18世紀、イタリア・ナポリで制作されたガリアーノという名の彼のベース。それは200年近く、さまざまな名手たちによって使い込まれきた逸品というだけあって、なんともいえぬ独特のオーラを放っていた。いたるところに無数のキズがあっても、それがこの楽器にとってマイナスイメージにつながることはなく、ある意味、「俳優・高倉健の顔に刻まれた深いシワ」と同じ趣すら感じた。見る者にあたえる「凄みと、安心感」。この2つの相反する効果こそが、人々の興味を引きつけ、やがて感動をあたえるのだろう。これぞ芸術だ!

そして、いよいよオーナー夫人のあいさつの後、演奏が始まった!

しーんと静まり返ったフロアに、「ボーン・・・」と弦が弾かれる。スポットライトが藤原清登とガリアーノを照らしている。「ボボボッボーン・・・、ボン!ボボボッボッ・・」

それはカランカランに乾いた、素朴な音色であった。低音から高音まで、じつに澄みきった柔らかい音。曲名は忘れてしまったが、イタリアの民族音楽だったと思う。なんだかのんびりしていて、懐かしい気さえする。

しかし、何曲か演奏していくにつれ、何かの異常を感じた。

なんだろう?あまりにも演奏者との距離が近かったため、曲を聴くことだけに集中していたのだが・・・

そうだ、暑いんだ!この部屋は暑い!

気付けば、自分のアゴからポタリポタリを汗が落ちている。さらに耳を澄ますと、後ろの席で御夫人たちが「ちょっと暑いわね・・・」と声が聞こえてくる。(そっかあ、みんな暑いんだ!)当然のごとく、藤原氏はナイヤガラの滝のような汗をダーダー掻き、白い麻のシャツが素肌にぺトっとなりはじめ、名器・ガリアーノのボディにも容赦なくかかっていた。そればかりか、足元の床に落ちた汗のせいで、藤原氏の靴がズルっ、となったりもしていた。

だいたい「ベース・ソロ」という音楽の形態は、強烈にストイックなものだ。みなさんも御存知のように、本来ベースはあくまで「引き立て役」である。だからベースの音は基本的に「バック」としてしか聞いたことがないと思う。ジャズでも、たまに長いベース・ソロを聴くことがあるが、正直言って「ダレる」(こともある。)ベースにトランペットのような「華」を求めるのは無茶な話なのだが、じつはその気持ちもわからんでもない。

ここだけの話、彼の演奏を聞く前に、そのような、ちょっと意地悪な先入観を持っていたことは事実だ。しかし、その予想は見事に外れてくれた。(なーんか俺、偉そうなことを言ってるなあ・・)さすがアメリカやヨーロッパで評価されただけのことはある!、「音楽は耳で聞くもんじゃねえ、心で聴いてくれ!」、と言わんばかりの演奏だった。

曲によっては、弓を弦にバンバン叩きつけるような過激なプレイもあった。その間5分弱、もちろん加減はしているんだろうけど、ちょっと心配になるくらいバンバンやっていた。時より、「うっ、」とか、「はぁ、」とか、髪を振り乱しながら、奥歯を噛み締めながらの演奏もあった。個人的に、あまり激しい演奏は好みではないが、でも一応予備知識として、そういう演奏スタイルもあるんだな、ということは知っている。だからなんなく受け入れることが出来たけど、しかし、全くそうでない人もいたと思う。つまらん学校教育のせいで、保守的な価値観のまま聞いていた人もいたかも知れない。いったいその人たちがどんな風に感じ取ったか、かなりクセのあったと思われるこのライブをどう思ったか(決して悪い意味ではなく)。ちょっと聞いてみたい気がする。

クラシックに、ジャズに、民族音楽。さまざまなカテゴリーを、たった1本のガリアーノで演奏された藤原清登。ズバリ、私の感想は、「もっとテレビとかに出ていただいて、もっと若い子たちに知ってもらいたい!」、単純にそう思った。コムロもいいけど、フジワラもいかしてるぞ!そう思った。

レコードもいいけど、たまにはライブも見に来い!そんなことを言われているような気がした。

ベース・ソロという、極限まで削ぎ落とされたシンプルな音楽から得られたもの。

それは、思わずニッコリしてしまうような素朴な音色と、恐怖にも似た緊迫したプレイ。

このライブの後、あまりにも気に入ってしまったので彼のCDを買ってみた。やはり良かった。もちろんリクエストにもお応えしているので気軽に声をかけてほしい。


この秋、しんみりとしたい方にもお薦めな1枚!藤原清登・「ベース&ベース」、ちぇきなあう!(←なんじゃそりゃ)


2000年の夏の終わりに、異空間で体験した、汗だくのベース・ソロのライブの話でした。




■藤原清登(ふじわらきよと)■1953年香川県高松に生まれる。両親共に音楽家で16歳の時にベースをはじめる。21歳のとき、バークリー音楽院に入学のため渡米。翌年、あの「フォレス・シルバー」のグループに入団。(これはすごい!)その後、多くの有名バンドで才能を発揮。技術面はもちろんのこと、独自の感性を生かしたオリジナルの曲もすばらしい。現在ニューヨーク在住。




■次回予告■

Cafe Adrenaline オープン4周年記念!
特別企画
「なつかしの写真展!」

おかげさまでこの10月20日をもって、まる4年を迎えます!

そんな日頃の感謝の気持ちをこめまして、秘蔵の写真を一挙公開!

約1ヶ月に及んだカフェ・アドレナリン・の工事施工風景と、
ピカピカだった頃の店内の様子など、私の、私の涙ながらの解説で紹介します!(←えーい、うっとーしい!)



この写真は、オープン用のポストカードのため撮影したもの。1996年8月頃・自宅にて。

2000年10月1日・更新!お楽しみに!





■おまけ■




こないださ、↑これにブチ抜かれてさ、参ったです!
なんていうかなあ、速いとか遅いとか、そーゆーレベルじゃなく、単純にカッコよかった!
値段が高けりゃいいってもんじゃないし、速けりゃいいってもんでもない。
でも、カッコいいに越したことはないじゃないか!なーんてことを思ってみた。

所詮、一般市民にとっては高嶺の花。
だからこそ、びかあーっ!と輝いていてもらいたい。



御意見、ご感想、こんなテーマを取り上げて欲しい!など、ありましたら御気軽にメールして下さい。


■制作■
■Cafe Adrenaline■



END


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