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web Cafe Adrenaline vol.6


早いよねえ、もう7月だもんね。ちょうど去年の今ごろはさ、ノストラダムスの大予言とかで、人類滅亡!なーんて騒がれてたよね。まあ、そりゃ、いつかは滅びるのだろうけど、いつ、どんな原因で、滅亡してしまうんだろう?考えても仕方のないことだけど、ま、せいぜい悔いを残さないように生きなきゃね。

2000年7月1日/カフェ・アドレナリン・店主・水野雄一




■わかる?わからない?■

JOHN COLTRANE

GIANT STEPS / JOHN COLTRANE Recorded .4.5.May & 2.December.1959


「アイツ、いい奴だよなぁ。けど、時々、わけわかんないこと言うよなぁ・・」

あなたの周りに、こんな人いません?

実は私にとって、このジョン・コルトレーンという人物はまさにそれなのである。好きか嫌いかと聞かれれば、好き。

けど、時々理解に苦しむのも事実。

「ダメだよ、マスターそんなこと言ってちゃぁ」と、マニアの方に怒られるかも知れないが、正直に言います!

分かんないもんは、分かりません!


60年代から徐々に始まったフリージャズという奏法。絵に例えるなら「抽象画」である。普通の人は聞いていると次第に嫌悪感を抱くだろう。メロディというものがほとんどない。しかし、コルトレーンの熱心なファンからしてみれば、この心の叫びが聞こえないのか!となる。ちょうどモダンジャズというブームが下火になりはじめ、皆が新しいスタイルを模索していた時代。
けど、私にとってジャズとは、単なる娯楽の音楽である。

心地よさが絶対条件!

もちろんミュージシャンの喜怒哀楽を感じながら聞くのは(ジャズに限ったことでなく)、リスナー全員の醍醐味に違いない。肝心なのは、そのバランスである。あまりに悲し過ぎたり、容赦なく暴力的であったりすれば、大抵の人は逃げ出す。タイトル名こそ挙げないが、コルトレーンの作品の中にも、そう思えるアルバムがいくつかある。
さあ、これからジャズを聞くぞ!という人が、もし間違ってこの手の作品を選んだとしたら、たぶん二度とジャズなんか聞きたくないだろう。
ようやく言葉が話せるようになった子供に、はい、これがラーメンよ、と言って、台湾ラーメンを与えるのと同じくらい衝撃的である。

そうならないよう、今回、私が用意したのが、この「ジャイアント・ステップス」である。

なかなかチャンスに恵まれず、不遇の時代が長かったコルトレーン。そんな彼を救ったのが、またもやマイルス・デイビスであった。1955年、彼のバンドのレギュラーに抜擢し、今まで溜まったウップンを晴らすかのごとく、コルトレーンのテナーサックスは炸裂した。途方もなく膨大な肺活量と、ミスタッチにも聞こえる独特の指使いを武器に、新人・コルトレーンの株はいっきに上昇する。その後、奇才・セロニアス・モンクとの共演も果たし、心身ともに充実した時期を迎える。
臆病者と言われた昔からは想像できないくらい、自信に満ち溢れたコルトレーン。
ここらでいっちょ、やったるかー!
と新たなる決意のあらわれが、このジャイアント・ステップスだ!この時、33歳。いいレコードだ。癒し系ではないものの、元気にしてくれる演奏である。A面の1曲目からノリノリで、どこで息継ぎしてるんだよ!と言いたくなるくらいパワフルだ!ヴォオッパ、パララララー!と現れ、「どーしたんだい旦那、元気出せよ!そりゃ人生いろいろあらーな!だから面白いんじゃねーか!」と肩をポンッと叩く感じである。それくらい力強く、人なつっこい演奏だ。
思わず、そうか、そうだよな、と勇気付けられる。

個人的には、このままの路線で行ってくれたら、と思うのだが、晩年はインド哲学に目覚め、作品にも宗教色が強くなる。1曲の演奏が30分を超えることもざらになってくる。「私はグル(聖者)になりたい」との発言は当時、問題となった。本当のコルトレーン・ファンは、ここまでひっくるめてのファンなのだろうか?

残念ながら今の私には理解できない。

わかったような、そうでないような。

思いは再び、冒頭にもどる・・・。


■ジョン・コルトレーン■1926〜67■9月23日、ノース・カロライナ州に生まれる。家業は洋服屋。このアルバムに収められている「ネイマ」という曲は当時の妻の名前である。が、63年、突然「生き方を変えてみようと思う」と言い残し、ネイマの元を去る。その後、あちこちを転々としながら、これからの新しいジャズはなんだ!と探求しつづける。しかし、67年7月17日、急性肝臓疾患のため死去。享年40歳。



■運命の5年前■

カフェ・アドレナリン・に置いてある、赤いオープンカー。

このクルマと、わたくしとの因果関係についてはあまり広く知られていない。

最近でこそ少なくなったものの、オープン当初は毎日のようにお客さんの質問攻めにあった。

「これ何て言うクルマですか?」

「動くんですか?」

「いくらしたんですか?」

そのたびに、一生懸命説明した。

しかし、クルマに詳しくない方に説明するのは大変だ。

誤解の無いよう、丁寧に話せば話すほど、おじさん、おばさんにとっては逆効果であった。

「ベック550スパイダーと言いまして、ポルシェ550スパイダーのレプリカなんですよ。」

たったこれだけの文章も、おじさん、おばさんにとっては、数字とカタカナが入り乱れる、複雑怪奇なマシン語らしい。

これはいかん!と思い、あわてて何か安心できるキーワードを検索する。

そうだ!「ジェームスディーンが乗ってて、死んじゃったクルマですよ!」と、付け足す。すると、

「あら、そうだったの!、このクルマが・・・・へぇ、でも、あなた凄いクルマ持ってるわねェ。」

と、かろうじて理解してもらえた様子で、ほっとひと安心。

お会計を終え、帰り際に、もうひとりのおばちゃん・Bが「何?何?なんてクルマだって?」と詰め寄る。

すると、そのおばちゃん・Aは自身満々にこう言った。

「ジェームスディーンが乗ってた、レプリカ、っていうクルマよおおお!!」




うおーっ!違うぞおおお!!


Beck 550 Spyder Story

今から5年前の、1995年7月9日。うだるような暑い日にベック550スパイダーを買った。


購入にあたり、「一生に一度くらい、これくらいの贅沢したってバチは当たらない!」と思う反面、「どーせ、すぐに手放してしまうかもなぁ」、という気持ちはあった。なにせ、普段の足がユーノス・ロードスターしかないのに、さらにもう一台オープン2シーターを買う。しかも、ユーノスに比べ実用性など皆無だ。それどころか更に家計を圧迫すること間違いなし!クルマを買うというより、おもちゃを買う感覚に近い。いや、まてよ、重量税や自賠責保険なんか掛かるおもちゃなんか無いから、もっとダメじゃん!

そうか、じゃ買うのヤメ!



もし、5年前、そう判断していたら、このホームページはおろか、カフェ・アドレナリン・は存在していない。

言ってしまえばこの馬鹿さ加減こそが、アドレナリンのソウルだ!


と、無理やり自分に言い聞かせている。(イエーィ!)


きっかけは、些細なことだった。某自動車雑誌の個人売買コーナーで「ベック550スパイダー売りたし!」を発見!出品者の住所を見るとウチから車で20分くらいの所、これは冷やかしでもいいから見せてもらおうと思い、さっそく電話をした。(当時は、というより、今でもそうかもしれないが、街中で実物を見ることは滅多に無い!)
別にユーノスに飽きたわけじゃないが、オープン2シーターという乗り物の楽しさを知ってしまったがゆえ、もっとソリッドであろう、もっと刺激的であろう、もっと非日常的であろう、ベック550スパイダーというクルマを知りたくなった。ただそれだけだった。

しかし、ここからは本人も予想しなかった、思わぬ事態に陥る。

数日後、出品者・Yさんの自宅に伺い、ベックを見せてもらう、第一印象、不覚にも、「うわぁ、かっこイイ、」と思ってしまった。低くうずくまる、真っ赤なベックの後ろ姿は、おもいっきり浮世離れしていて、感動した。
挨拶もそこそこに、「じゃあ、乗ってみますか!」と、Yさんは、いきなり試乗を勧めてくれた。こういうクセのあるクルマを、出会ってわずか10分足らずの他人に運転をさせる、なんていい人なんだ!と思った。が、今、もし、自分がYさんの立場だったとしたら、きっと同じことを言うだろう。内心、乗れば絶対気に入るはずという自信があるからだ。どおしよっかな〜と、悩んでいる人なら、そりゃもう、言葉は悪いが、カモだ!元カモが言うんだから間違いない!幸いにベックはそれほど高額ではないし、わざわざ電話をしてきて、見に来るくらいの気持ちがあるなら、あとは簡単!にこやかにキーを渡して、10分くらい走ってきてもらえばいい。戻ってくる頃には、目がとろ〜んとなっているに違いない。

そう、これは、すべて自分のことである。冷やかしなんて言ってられる状態ではない、試乗を終え、Yさんの「どうでしたか?」との問いかけに対し、「はい、前向きに検討させていただきます!」と、自分でもびっくり発言!や、やばいぞ、コントロールタワー応答しろ!状況はどうだ!はい、このままだと軌道修正不可能です!くそお、あそびクルマ購入阻止モードのレベルはどうだ!だめです、出力低下してます!ベック購入は避けられそうにありません!な、なにいい!購入資金調達ルートを検索しろ!カチャカチャ・・、ざ、残念ながら合法的にクリアしてます!そんな馬鹿な、まだ結婚して半年だぞ!どこにそんな余力を残していたんだ!夫としての自覚モードを調べろ!カチャカチャ・・、し、信じられません!どうした!フォルダごと消去されています!な、なにいい!!

本当にいろんな気持ちが葛藤していた。その値段、160万円。買って買えない金額ではないが、後の生活に不安が残らないと言えばウソになる。しかし、どうしても手に入れたいという衝動に駆られてしまった。

ベックを乗られたことのない方には理解しにくいだろうが、車重580キロというのは想像を絶するほど軽い。たった960キロしかないユーノス・ロードスターがクラウンのように重たく感じるくらいである。片手で押せるクルマなんて、そうは無い。これは体重80キロのひとがダイエットに成功し、40キロになった感動と等しい。
空冷水平対向4気筒・1600ccで90馬力、現代の平均スペックと比較すると、かなり非力なエンジンだが、ツインキャブとハイカムを組み合わせ、高圧縮のヘッドに換装した結果、タコメーターは5800回転まで吸い込まれるように回る。またそれが背中のすぐ後ろで、クォォォォーッ!!!と泣き叫ぶのだからたまらない。ビートルエンジンは上手にイジると、とてつもなく気持ちがいいと聞いていたが本当だった。絶対的スピードはたいして速くないから、法定速度内でも十分にスポーツ走行が楽しめる。こんな世界もあるんだぁ、と感心した。

えーい、こーなったら思い切って買ってしまえ!こうして本格的に購入することを決意!駐車場の確保ができ次第、正式に連絡しようと思い、近所の不動産屋を訪ね歩いた。しかし、こういう時に限ってなかなか空きが無い!1ヶ月位探した頃だろうか、Yさんから連絡があった。じつは、他の方からも譲って欲しいという電話があったという、今すぐにでも買いにくる勢いらしい!

ざけんじゃねェ!ちょっと待ってろ!とは言えず、「もうちょっと待ってもらえませんねぇ、なかなか駐車場が見つからないんですよぉ、あと一週間!あと一週間だけ待ってもらえませんかね!」と、商工ローンに追い立てられるかの如く情けない言い訳をし、時間稼ぎをした。

しかし、無情にも期限までに返済できず、破産管財人のもと、じゃなくて駐車場確保は失敗に終わりタイムオーバー。
仕方なくYさんにあきらめの電話を入れた・・。Yさんも心なしか残念そうに了解してくれた・・・。


しょうがない、しょうがないさ、これも縁が無かったと思って、あきらめよう、忘れよう・・・でも、しばらくダメージは残った。
やがて、俺にはユーノスがあるじゃないか、こっちの方がいいさ!あんなブラジル製の、あんなおもちゃみたいなクルマなんか買わなくて正解さ!こっちから願い下げでい、ふー危ねぇ、危ねぇ。と、やっとおもいで気持ちを切り替えた途端、

「あ、水野さん、駐車場、空きましたよ、」と不動産屋。

ざけんじゃねェ!もー手遅れなんだよ!とは言えず、「もう、いいんです・・」と受話器を静かに置いた・・。

あーあー、ほんとタイミング悪いよなあ、まさに買い物のバルブクラッシュだよなあ、エンジンだったら完全にブローだよなあ、とわけのわかんないことを思っていると、今度はYさんから電話があったではないか!

「あ、水野さん、あれ、キャンセルになっちゃいました!なんでも、その方の奥さんが猛反対したらしくって、それでボツです・・。いちおう水野さんに念のため、ということで・・・」

ぬ、ぬ、なにうおおおおおっ、ざ、ざけんじゃねェ!うちの奥さんはなあ、うちの奥さんはなああ、反対なんかしねーぜェェェッ!わいが、このわいがぁ、買わせてぇ、買わせて頂きやすですたいいいいいうううううえええええおおおおおお!!!!



1995年7月9日、うだるような暑い日に、現金160万円を抱えた挙動不審な夫婦は地下鉄に乗り、Yさん宅へ向かった。本当に暑い日だった。こんにちはー、とお邪魔したYさんの自宅は冷房がよく効き、ウェルカム冷え冷え状態だった。(←なんじゃそりゃ)
そして、いよいよ納車の儀式である。まずは現金の確認。10万円の山が16個並ぶ。なんだか一種異様な光景だ。「はい、確かに」とYさん。そして念願のベックのキーと車検証と受け取る。ところが、ここでYさんが予想外の行動に出た!
「たぶん、これから、あちこち壊れると思うから、これ、修理代にでもあててください」と、15万円を返してくれるではないか!ななな、なんと、やさしい方だ!思わず涙が込み上げてきた。そしてさらにこう付け加えられた、「このあと、予定ありますか?、もしよかったら、少し走りにいきませんか?」と。
ああ、本当にYさんに譲ってもらえてよかったなあ、と実感した。

しかし、喜んでいる暇はない!驚くなかれ、なんとYさんがブオブオと持ち出してきたクルマは、70年代のアルファロメオ・スパイダーだった!ということは今までベックとアルファを同時所有していたのか!なんというふざけた人だ、いや、なんとリッチな人だ!

炎天下の中、真紅の2台は近くの港まで走った。もちろん2台ともオープンのままだ。よって注目度は凄い。こんなにジロジロ見られたのは初めてだ。しかも結構なスピードで走る。おもむろに助手席の乗るYさんの奥さんが、後ろを振り向き、身を乗り出し、カメラを私たちに向ける。「はーい、笑ってー!」と叫ぶ。この時に撮ってもらった写真は、見るたびにジーンとくるいい写真だ。



紆余曲折の末、ベックはやっと自分のものになった。しかし、喜んだのもつかの間、その後、Yさんの予言はピタリと的中し、あちこち壊れまくった。本当に嫌になるくらいよく壊れた。交差点のど真ん中でアクセルワイヤーが切れたり、フューエルフィルターの目詰まりが原因で、どれだけアクセルを踏んでも30km/hしか出なくて、軽自動車のおばちゃん対向車線からブチ抜かれながら「この、ポンコツ!」と暴言を吐かれたり、お前ら絶対に密入国だろ、と思われるロシア人に「ワーオ!これでどっか行こう!」と取り囲まれたり(←これはメカ・トラブルじゃないけど・・)、ま、ベックを買ったのを境に、いろんな経験をさせてもらい、いろんな人と巡り逢え、仲間も増えた。

ちょうど時期を同じくして、私自身、人生の岐路に立たされていた。当時、サラリーマン・コックだった私の進路といえば、このまま出世して、管理職につき、後輩の指導に当たるというものだった。もちろんそれも悪くない。むしろ正当な話と言えよう。しかし、ここしばらくのうちに自分の価値観は大きく変化していた。誤解を恐れずに言えば、「メジャー志向からマイナー志向へ」、というものである。

つまり、少数でなければ生まれない発想や、思いいれの強さや意外性、こういった人間くさいままの商品が放つ愛嬌は、マイナーな世界でないと味わえない。メジャー志向の会社で、毎日毎日、朝から晩までフライパンを振っていた私にとっては、かなりのショックだった。みんなと同じじゃつまらない、クルマも、人生も!そんなふうに思えてきた。
これを世間ではアウトローと言うのかも知れないが、気にしちゃいけない。自分の人生は、自分が楽しむためにある、何もせずにあとから後悔したりするよりはマシだ。
信じて進める道があるなら、多少のリスクや苦労なんて、喜んで受けてやるぜ!

そして、これを当時自分の置かれている状況とラップさせて考えた結果が、独立であり、カフェ・アドレナリン・であった。

もちろん不安はあった。よく考えれば、行過ぎたマイナー志向は、一種の恐怖感を与えるだけだし、希薄なコンセプトでは意味がない。だいいち肝心の採算は取れるのか?などなど、問題点もたくさんあった。
それでも、喫茶というメジャーな業態の中で、「マイナー的・楽しさを取り込んだ店作り」をしたかった。そして、それは誰もマネのできないものにしようと思った。よし、これなら挑戦する価値アリ!と判断した。



こうして1996年、27歳の時、カフェ・アドレナリン・が誕生する。

ひょんなことから、145万円もするおもちゃを買い、周囲の人間からはヒンシュクをかい、その1年後に独立?、馬鹿言っちゃイカンよ!と、客観的に見てそう思う。
しかし、本当に何がきっかけで、ひとの人生が変わるのか分からない。
そして忘れてならないのが、これもいろいろな方のおかげである、ということ。


1台の、ローテクで、マイナーな、あそびクルマから、学んだもの。得たもの。

それはあまりにも大きい。

そんな私が、ベック550スパイダーにしてあげれること。

それは、18坪しかない店舗面積の4分の1を謙譲することくらいだ。







運命の分かれ道だった1995年7月9日の話でした。


■ベック550スパイダー■アメリカ、ロス・アンジェルス在住の、チャールズ・ベックというクルマ好きが起した会社、「ベック・ディべロップメント社」が、ブラジルにあるフォルクスワーゲンの工場を買収することに端を発する。そこで、1953〜56年に生産されたポルシェ550スパイダーのレプリカを作る計画を進める。それまでに550のレプリカがなかったわけではないが、どれも高額だったため商業的には失敗に終わっている。そこで、ボディ、フレーム以外は、すべてビートルのパーツを使うことによって、コストダウンをはかり、ロープライスで信頼性のある、アメリカ企画、ブラジル生産のクルマ、「ベック550スパイダー」が誕生する。1988年の販売開始以来、一時、生産中止となるも、現在も元気に生産中。ちなみに、私のベックは1990年式という、かなり初期のモデル。定休日の水曜日、しかも、晴れた日にしか出動しないが、もし見かけたら声を掛けてやって欲しい。





■肉の夜■


先日、6月14日の水曜日、カフェ・アドレナリン・主催、焼肉大会が行われた!


当店の定休日を利用して、年に数回、ごく少数の参加者ではあるが焼肉大会を開催している。会場は、すでにお馴染みの、「スバル360の専門店・ガレージ・プレアデス」の駐車場である。
工場地帯と公園に囲まれたこの場所は、午後6時を過ぎると途端に静まりかえり、誰もいなくなったはずの公園のブランコが揺れ、首のない犬が走り回り、(←うそ、うそ) とにかく、住宅地からも離れているため馬鹿騒ぎするには格好の場所である。
今回のテーマは、和牛!しかも、ぜーんぶ、松坂牛!

参加者の中に、三重県のお肉屋さんと友達という、なんともファンタスティックな方がみえたため、とびきり上等な松坂牛を、超格安で入手することに成功したのだ!そして、この日のために用意された肉の量は全部で7キロ。参加者は20名弱だから単純に計算しても、ひとり350グラムの割り当てとなる。個人差はあるにせよ、これは事実上の「食べ放題」と言ってよい。パスタに換算すると、約3人前に相当するからだ。

いい具合に備長炭が赤く焼け、一度も冷凍されていない高級和牛を、よーく焼いた網の上にのせる。そのほとんどが霜降り肉のため、したたり落ちる油の量は半端ではない!とうぜん、無煙ローターなんてもんは無いから、牛だけにモウモウと煙が立つ。(←牛だけに、これ余分)しかし、これがいいのだ!瞬時にライト・スモークされ、余分な油が落ちる。野外ならではの、豪快にして、ぜいたくな食べ方だ!

途中、肉を調達してきた伊藤氏が「みなさーん、あまり焼き過ぎないで下さいねー!ぜんぶ生で食べれる肉ですから!」と忠告が入る。本来ならば料亭や、高級ステーキハウスに卸すような肉を、野外で、夜風に吹かれて、缶ビール片手にガツガツ頂く。おまけに、タレもこの伊藤氏の手作りだ。レシピは秘密だそうだが、おそらく数種類のフルーツに、にんにく、生姜、ごま、しょうゆ、酒、みりん、などをミキサーにかけたものと思われ、刻んだネギを添えて、その味は完成する。もちろん、肉だけで十分にうまいのだが、このタレを付けることによって、よりいっそうワンダーランドが広がる。

少食である私は、通常、缶ビールを3〜4本飲んで、肉はつまむ程度にしか食べないが、さすがに今回は無意識のうちに缶ビール1本、あとは思いっきり肉を堪能していた。

顔見知りが多かったものの、初対面の方もみえ、和気藹々とした雰囲気のなか、宴は続いた。みんなに初めて彼女を披露する!という幸せなカップルの登場で、会場のボルテージは一気にレッドゾーンへ!やんややんやと馬鹿な話で盛り上がり、あっという間に深夜12時を過ぎていた。

梅雨の晴れ間に行われた、焼肉大会。

しばし「店主・お客」の関係を忘れ、同じテーブルで、同じ酒を飲み、同じように馬鹿話に没頭し、「マスター、肉焼けたよ!」と、取り皿によそってもらえる喜びはなんとも形容しがたい。


ここまで話を持ち上げといて、急に腰を折るようなことを言うのもなんだが、本当は、肉の味なんてどーでもいい!
知っている人、知らない人が一箇所に集まって、一つの網を囲み、わいわい騒いで食べるのに、冷静な味覚の判断など必要ない。楽しく食べることができたら、それだけでハッピー。もちろん美味しいにこしたことはないが、プラスαくらいに思っていればいい。でないと損だ。


さあ、そろそろ焼肉のうまい季節になってきました!みなさんも仲間と、山や川でバーベキューなんて企画してみてはどうでしょうか。腹いっぱいになってさ、日陰でゴロンと昼寝をする!これ最高だよね!




さて、気になる今回の会費だが、ひとり、たったの2300円!ビール代も、松坂牛も、炭も、ウーロン茶もぜーんぶひっくるめての金額だ。


また集まりたいね!と言い合える焼肉大会が、最高!




■次回の予告■


納涼・特別企画/アルファロメオの恐怖

あるオーナーに次々に起こる怪奇現象!偶然なのか、それとも・・・!

2000年8月1日・更新!お楽しみに!





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