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web Cafe Adrenaline vol.75
2008-10-24 (金) update
since 2000


1996〜回想3〜2008
おかげさまで12周年を迎えました!
今回は、かなり昔までタイムスリップしてみたいと思います(笑)



この写真の裏には、母親と思われる筆跡で、
「昭和49年1月2日、名古屋城にて 4月から幼稚園へ行きます」、とある。

なんとなく覚えているこの帽子、たぶんこの当時放映されていたウルトラマン・タロウのやつだと思う。
左手に握っているのは、ここで売られていた木製のやたら重いヨーヨーだったと記憶する。僕が5歳の頃。








1975年ごろ幼稚園の遠足・青少年公園にて。
2005年/愛知万博が開催された場所やね。 一番左側が僕。 なんか、こうやって見るとさ・・・

なんか似てない?(笑)








ほんとはこっちなんだけど。












こんな写真しか残ってませんでした。
僕がはじめて買ったクルマ 昭和58年式/”セリカXX(ダブルエックス)・2000GT ツインカム24” 初期型

19歳の時どーしても欲しくて、いよいよ我慢できなくなって、それが当時勤めていた会社の先輩の耳に入って、
「んなら紹介してやるわ〜」、と、あっという間にトヨタ系の中古車屋さんがこれを勤務先まで持ってきてくれて、
セールスの人に「どーですか?」と言われ、「欲しいです」と即答し、お金は?と聞かれ、「ありません」と即答し、
セールスの人も「・・・やっぱり」と即答し、たしか頭金なしの全額ローンで買ったんやね。3年だったか4年だったか?

140万円くらいしたかな。走行5万キロ/ワンオーナー/サンルーフ付き。
前のオーナーがやったと思うけど、ノーマルのスプリングに、ビルシュタインのアブソーバーが組み込まれていて、
(しかも、それが抜けていて)、硬いんだか柔らかいんだか、なんだかよーわからん乗り味だったね。

160馬力もあって、フロントヘビーで、リアが超軽くて、
タイヤが195/70/14インチだから、よースピンしました。
当時まだ初代スープラが出たばっかりで、中古とはいえ結構高かったよね。

まー、とにかく嬉しかったね。

多くの人が、一番最初に買うクルマって、大抵ぶつけてもいいクルマじゃん。(最近はそうでもないかな?)
周囲の人や親からも、運転が上達してから、お金にゆとりができたら、自分で本当に欲しい物を買いなさい、
みたいなこと言われるじゃん。実際、僕もそうだったし。会社の先輩からもずいぶん言われたな。
「なんで新入社員が俺よりいいクルマ乗ってんだ、生意気な!」、って冗談ぽく頭を小突かれました。

今もそうだし、この当時からそうなんだけど、
自分で納得いかない物は、どんなに安くても、絶対に買わない主義でして、
逆に、気に入った物なら、けっこうな長期ローン組んでも平気で買うタイプ。

自分のお金はどこまでいっても自分のお金なわけだし、
納得いかない物は、どこまでいっても納得いかない物だと思っているから、
なんで、それらがいっしょに結びつくのか未だにわからない。(笑)

これは僕個人の見解だけど、(若いうちは)
社会人になって給料を貰うようになったら、妥協は最小限にとどめ、
本当に欲しい物をGETするために、最大限の努力すべきだと思う。

本当に欲しい物に対して、上手に妥協するクセがつくと、感受性も鈍るし、向上心も失うと思う。

身の程を知る、とか、身分相応、なんて言葉は、
普通に生きていれば、ほとんどの人が30歳代後半にはイヤでも理解できるし、骨身に染みると思う。

それからでも遅くない。




じゃーん!これは修行時代、
過去に何度も登場しております僕が勤めていた店の写真を初公開。たぶん1994年/25歳くらい頃。

手前が足立くんで、奥が僕、で、その奥(顔だけちょこんと見えるのが)がバイトのNさん。
たぶんこれは、見習いからステップアップして、副店長クラスになっていた頃だと思う。

ざっと見えている店内のディスプレイや、店の広告やポップ、チラシなんかも僕が担当してました。
(今見ると結構テキトーだけど/苦笑))

まあ過去には、いろいろ厳しいことも書いたけど、
なんやかんや言っても、この店なくしては今の僕は絶対にありえないわけで、
僕の料理人としての原点は依然としてここにありますし、今だからこそ、余計に、(かな?)感謝しております。

当時、ここのランチはさ、800円でワインも飲み放題なんだよ。
場所は名古屋市中区で、OLやサラリーマン客が多いんだけど、
みんなフラフラになるまで飲んで帰って、そのあと仕事しとるんかい!みたいなノリだったね。
今じゃ考えられないけど、なんつーか、みんな、「大人としての自己責任があった」、いい時代だったよね。

で、僕らもランチタイムが終わって、まかないを食べるんだけど、
ま〜僕らもガブガブ飲んでましたね〜アホみたいに、毎日よ、昼間っから。
ぶっちゃけカリフォルニアの安ワインなんだけどさ、この際、美味い/美味くないなんて全く関係ないじゃない、
もうさ、天国だったね、イタリアじゃねーんだからさ、その後みんなで休憩がてら爆睡よ。楽しかったな〜。
そのかわり一日/16時間労働だったけどね。毎日毎日、普通のサラリーマンの倍働いてんだもん。
朝8:00〜深夜12:00まで、みっちり。(労働基準法に反するけど。ま、時効だけど) みんな若かったわ。

で、なんで足立くんばっかり写ってるかと言うと、
実は撮ってる人が当時の足立くんの彼女(クロちゃん/同じくバイト)だったからなんだよね。
つーかさ逆に、僕は邪魔者だったということなんだよね。失礼しました。(笑)

正直この頃は、まだ全くと言っていい程、独立なんて考えてなかったし、
なんせ与えられた仕事をこなすのに精一杯だったし、たぶん、この頃は店自体もうまくいっていたと思う。
別に辞めたいとか、そんな風には思ってなかったな。やっぱ全ての歯車が良い方へ回っていたと思うから。

本格的に独立を意識しだしたのは、ベック550スパイダーを買ってからだね。やっぱし。

ほんと、↓このクルマとは運命の出会いだったと思う。

これは納車後30分くらいの貴重なショット/1995年7月9日

あ〜思い出すな〜、これは鶴舞公園の近く。vol.6参照
僕らの前を走っているのが吉田氏のアルファロメオ・スパイダー2000ヴェローチェ。

で、これは近くの港(名古屋港)に到着の様子。 右から、吉田氏、かみさん、僕。

吉田さんにとってはお別れムードだし、僕らは歓迎ムード。
けど、正直言って、まさか13年後(2008年現在)も所有しているとは思ってなかったな。
しかも、このクルマを中に入れた飲食店を自分でやるなんて想像もしてなかったよ。面白いね人生は。

これは幌をした状態の写真。 当時の自宅・駐車場にて/1995年8月12日

今思うと信じられないくらい、普通に乗ってましたね、通勤にも使ってたし。
しかも、ユーノスロードスターと併用してましたから、ほんまアホやったね。(笑)

けど、名古屋市内でも僕の住んでいた天白区周辺は、当時、結構こういうアホが許される雰囲気があって、
日常的に、フィアット500や、MGミジェットや、ポルシェ911(930系)なんかと良くすれ違っては挨拶してましたね。

端的に言ってしまえば、今と比べて、若い子がちゃんと働いて、ちゃんとお金を稼いでいた時代だと思う。
ま、全体的に景気が良かったとも言えるけど、だから、こんな趣味クルマがあちこちで走っていたんだと思う。

”昔は良かった”、と言うのはあまり好きじゃないけど、
とにかく昨今のクルマを取り巻く環境はあまりに絶望的だよね。

ごく一般的な庶民が、精神的にも、金銭的にも、”余力で”古いクルマと接しながら、
楽しんで乗る、なんていう行為は、ここ最近の雰囲気からしてちょっとありえない。

とくに、10代後半〜20歳代にかけて、このような趣味の世界に挺身してくれるような若者はもはや絶滅寸前。

これも貴重な写真やね。 アドレナリン・オープンの5ヶ月前/当時の自宅にて。

※たぶんこれはコックを辞めて、独立に向けての準備をしつつ、配送のアドバイトをしている時期だと思う。
いろんなテナント物件を見ては、なんかイメージと違うな〜とか言って、ぷらぷらしてましたね。
だからこの時はまだ何も決まってないし、たぶん店名すら決まってないと思う。
そしてこの一ヶ月後、ようやく名古屋アドレナリンの場所が決まる。

こうやって、しょっちゅう仲間を呼んでは、僕とかみさんとで料理を作って、おもてなしをしてましたね。

この当時は、インド料理にハマっておりまして、
カレーはもちろんのこと、タンドリーチキンや、ナンも作ったし、
忙しくて時間が無いときはチャパティ(ナンを発酵させないもの)を振舞ってました。

で、絶対に食後のデザートは忘れずに用意する、ってのが僕の方針、これは今のアドレナリンでも変わってない。
どんなに酔っ払っていても、どんな深夜になろうとも、とりあえずお出しする。
今日は来てくれて有難う!また来てね!という感謝の気持ちを込めて。

まあ変な話、この当時から基本的にやってることはあまり変わってないな。(笑)

名古屋アドレナリンをオープンさせた時、仲間から言われたのが、
「水野の家を広くして、靴のまま入れるようになった感じがする」、との言葉が印象的。

たしかに、はじめはプライベートで楽しんでやってたことなんだけど、
どんどん深入りして、数をこなすうちに自分のスタイルが出来つつあることに気付いて、
そのうち仲間内だけの評価じゃ物足りなくなって、だったら店を出してみようかみたいなノリになって、
まあ、ぶっちゃけ仮に失敗したとしてもまだ若いんだし、いくらでもやり直しきくし、

万が一、途中、乗り越えられそうにない壁にぶち当たったとしたら、
そこであきらめてもいいし、つーか当たって砕けてみたいし!みたいなノリというか覚悟だったね。

”冒険”、という言葉がぴったりだったね、この時期。

これは名古屋アドレナリンをオープンして半年くらいの営業時間中の光景。 たぶん夜10:00頃だと思う。

左に見えているのは、以前にも紹介した、一機/200万円もするシーケンシャル・ミッションを積んだ怪物、
ルノーサンクターボII。 で、そのオーナーである山本氏↓

ウェーバーの40パイ/ツインキャブの調整をしてもらっている、の図。
不調の原因は、インテークマニホールドのガスケットに亀裂が入り二次空気を吸っていた為と判明。

しかし、客観的に見ても、すごい光景だよね。
なんだこのカフェ?って感じだし、これで営業中??って感じだよね。

当時、僕の事をあまり知らない人は、
”どーせ、お金持ちの坊ちゃんが趣味ではじめた店なんだろ”、
くらいにしか思われていなかったと思うけど・・・うーむ、確かに、そんな風にも見える。
「カフェ業なんて片手間にやってますから!それより僕は今、このクルマに夢中なんです!」、って言ってそうだし。(笑)

まあ確かに、クルマ趣味を謳歌している時期ではあったけど、
実際には、それよりも、クルマを通じて、”お客さんとのつながり”を楽しんでいたと思う。
もっと突っ込んだ話をすると、うちのお客さんは、うちの店に(僕を含め)何を求めて来店されているのか?、
という分析に興味があったし、そういったニーズをまとめて最大公約数を探したりするのが好きだったね。

で、その結果、なにかしら実行できそうなことがあれば片っ端からやっていくんだけど、
それにちゃんとお客さんが反応してくれて、(ほんと有難い!)、日に日にクルマ好きの客層はどんどん増えていって、
途中から、顔と名前が一致しなくなって、こりゃいかんと思い、はじめたのがこれ↓

お客様名簿。

オープン当初の1996年〜2000年ごろまでに来客された、
クルマ好きの方を中心に、約250名の人に書いて頂いたものです。

なぜ2000年で終わっているかというと、
このころから”個人情報の漏えい”という問題に対し、社会が敏感になりはじめた時期で、
まあ、そういったことに配慮した結果です。ちょっと淋しい気もしますが、しゃーないですな。
こういうのって、疑心暗鬼じゃあ書く気になれないし、お願いする方もなんとなく恐縮しちゃうしね、だから辞めた。

ですが、今回はせっかくなので、特別にその一部をご紹介したいと思います。

こんな感じでやってました〜、という意味合いで。

もちろん、みなさんに安心してご覧頂くため、個人情報に関する部分は全て消去してあります。
また構成上、記入者の迷惑にならない範囲で、消さない方が内容的に面白いと思われる部分や、
僕のごく親しい友人で、そういった意向に理解してもらえる場合のみ氏名はそのまま載せてあります。

↑このアルファロメオが前出の吉田氏のスパイダー。

ちょっと見にくいですが、上の段から、

氏名/住所/電話番号/生年月日/血液型/ご職業/所属しているクラブ名
/好きな飲み物&嫌いな飲み物/好きな食べ物&嫌いな食べ物/好きな有名人&嫌いな有名人
/ちょっと人に自慢できる貴重な体験・または特技
/将来どこの国で、どんな生活をしてみたいですが?
/現在所有しているクルマ
/過去に所有したクルマ・車歴
/将来所有したいクルマ
/カフェ・アドレナリン.にご質問またはリクエストしたいことがございましたらお聞かせ下さい
/最後にお客様のニックネームを!

という項目に記入してもらいました。

↑このジネッタG4は、リプロではなく貴重なオリジナル。
しかし、過去のオーナーの時に(イギリス人らしいが)、トヨタ製のミッションに載せかえられており、
シンクロがヘタったとかで部品を取り寄せようと、トヨタに問い合わせ、品番を告げると、
「そのようなミッションは当社では製造しておりません」と言われ、弱ったな〜と苦笑いしていたオーナーが印象的。

おそらく1970〜80年代にかけて、輸出向けに生産された(もしくは現地生産された)、
トラック系のミッションだろう、という所までは突き止めたのだが、結局らちがあかないので、
ワンオフで部品を作り対処したとこのこと。

1999年発売/ガレージライフvol.4の撮影時にも来てくれてましたね。



こちらも貴重な、初期型/フェラーリ308GTB(ファイバーボディ)

このときに助手席を体験しましたが、ま〜このオーナーさん、飛ばす飛ばす!(笑)
とにかく、車体が軽いな〜って思ったのと(&低重心)、背後にあるウェーバーの吸気音がめちゃくちゃダイレクト!

3リッターで255馬力、車重1090キロ、なかなか骨太なクルマでしたよ。




コーヒー2杯目から安く、ってのは僕も賛成です。(^▽^)

当店では、滞在時間2時間なんてザラですし、それがこの店の付加価値だと考えています。
なので、ドリンクのおかわりは当然だと思われますし、それについての割引も当然のリクエストかも知れません。

よし、じゃあ近日中に、ドリンク2杯目の方と、
セットメニューの後、さらに追加ドリンクをオーダー頂いた方には100円の割引をさせていただきます。


↑こちらの方の現在所有のクルマ&過去に所有したクルマ、すごいよね。
じつは、ご自宅にもお邪魔したことがあるのですが、きゃああああああああー!って感じでした。
そのスジではけっこう有名な開業医の方ですが、もうね、参りました、って感じですわ。(笑)

これだけの車歴をお持ちの方なので、当然ポルシェのディーラー(当時はミツワ)ともパイプが太く、
↓こんな風に、ボクスターの発売日直後にもかかわらずデモカーを回してくれたりと、なにかと面倒を見てくれました。

これは、修行時代に勤めていた店で一緒に働いていたバイトの千恵子ちゃんのクルマ。

ある日、「友達からこのクルマもらったんだけどさ、水野さん、可愛くしてよ」、と言われ、
彼女のイメージにあわせ(?)こんな風に、カッティングシートを魚に切って貼ってみました。

ちゃんと、マフラーから魚が出てくるように見える風にしました。見えるかな?(笑)






↓これはvol.54でも紹介しましたが、僕の友人の加藤氏が書いたもの。

↑ちょっと人に自慢できる貴重な体験、「ヘロインのライブを見た事」とありますが・・・














・・・コレやね。(笑)1987年3月28日/名古屋市(旧)中区役所ホールにて

これは僕らが高校生の時に結成したパンクバンド・HELOIN(ヘロイン)

左上 vocal/Johnny (本名・河野正秋/数字にめっぽう強く、現在は公認会計士)
右上 guitar/Jun (本名・新井順哉/現役のギタリストで、現在は会社社長。尚、自宅にはスタジオ完備)
右下 bass /Take (本名・岩田武司/波乱の人生だったようで現在は連絡つかず)
左下 drums/You (本名・水野雄一/ヘロインのリーダーであり、現在はアドレナリンのマスター)

この当時、世間では空前のバンドブームでありまして、
まだケータイやパソコンも普及していなかった時代、若者が熱中できることと言ったらやっぱロックだったね。

多くの高校生バンドがBOOWYや、RCサクセションや、ヘビーメタル系といった、
誰でも知っているようなヒット曲をコピーしてましたが、基本的に僕らはオリジナル曲で勝負してました。

だからライブでは全くといっていいくらい受けなかったね。(笑)
そりゃそうだよね、聞いたことない曲ばっかじゃノレないし、
ぶっちゃけ、高校生の大半はオリジナル曲なんてどーでもいいし、望んでないし。

バンド名の由来は、”一度好きになったら病みつきになるくらい依存性の高い音楽を!”
というコンセプトから、当時調べた辞書の中からみつけたのが、
「麻薬の中で最も依存性の高いのがヘロイン」、 よし、これに決定!って僕が決めた。(笑)

ま、かなり反社会的なバンド名だけど、
なんせ’80年代当時の18歳の小僧が考えました〜「ささやかなレジスタンス」ということでお許しを。

けど、大人になっても独立した店の名前がアドレナリンじゃ〜全く進歩してないかも。(汗)

ただし・・・

広く大衆に受けなくても、まずはオリジナルでチャレンジしてみる!
笑われたっていいから、あまり人の手垢が付いていないところを見つけ、
そこに自分の居場所を見つけ、納得して、工夫して、努力してやってみて、
客観的に見て、なんか面白そう、って思えたなら、あとはひたすら全身全霊を傾ける!

・・・てとこは、いい意味で今も昔も変わってない気がするね。



↑これも↓これも、vol.8で紹介しました、山田氏が書いたもの。

彼には、独自の世界観があって、それが現在のグラフィックデザイナーという職種に見事生かされていると思う。
彼とも、年に数回はあって飲み会をするけど、本当に”いいやつ”という言葉がぴったり。彼にもホンマ感謝やね。






すっごい昭和を感じさせるキーワードだと思わない? ナゴヤ球場/高木守道/ちくわ







しかし、今見ても面白いわ。お客様名簿。
結構みなさん本気で、言いたいことを書いてくれてるし、役者が多かったね。
当時の、みんなが若くて、いろんなトラブルも起こったけど、毎日がお祭り騒ぎだった頃を思い出します。

あらためまして、みんな有難う!




これはvol.4で紹介しました、スバル360の専門店/ガレージ・プレアデス。1999年ごろ。

実はここの扉にある、お店のロゴなどのペイントは僕がデザインし、描いたもの。
地上3メートルくらいの高さで描くので、ここのオーナーが用意してくれた廃車の軽トラの上に登って描きました。

馬鹿となんとかは高い所が好きと言いますが、僕は高い所が大好きなので結構楽しんで描きましたが、
超がつく程、高所恐怖症のオーナー/大森氏は、下で見ているだけでも足が震えます〜と顔面蒼白。(笑)

スバル製のスクーター/ラビットに跨っているのがオーナーの大森氏。











しかし、ここ岐阜県中津川市に移転してからも、
相変わらずクルマ好きによる、お祭り騒ぎみたいな営業は続いておりまして・・・

まあ正直な話、僕もそこそこ歳を取りまして、最近いろんなことに鈍感になりつつありまして、
決して怠けているつもりはないのですが、昔に比べ、細かいことにも億劫だな〜と思うようになりまして、
それでもやはり、当店のお客さんは、僕に対して、元気一杯!容赦なく襲い掛かってくるので(笑/嬉しい限りですが)、

・・・ぼんやりしたいな、と思いつつも、おそらく普通の人よりもけっこう刺激的な日々を送らせて頂いております。


これは先日/2008年10月13日 (月) 三連休の最終日。

でた!フェラーリ512TR & ポルシェ911(993型)カレラ

2台とも、お隣りの岐阜県恵那市からご来店です。

まあ平日は、地元のマダムらのご来店が多いのですが、(これには非常に感謝!)
土日祝ともなりますと、朝から他府県ナンバーのクルマで賑わうことも決してめずらしくなく、

逆に平日のマッタリとした雰囲気しか知らないお客様からは、「今日は何かあるの?」、と聞かれますので、
丁重に、「いえ、特に、何も・・だいたい週末はこんな感じでして・・」、とお答えするしかないのでそうします。(苦笑)

↑こうやって、長年にわたっていろんなタイプのフェラーリを見せてもらっていますと、
「あ、エンジンフードの裏の作りは348とか、F355なんかと同じだ〜」
と分かるようになります。閉める時にカッシャーン!って音がするんだよね。(笑)

↑フロントのボンネットを開けてもらいますと・・・

↓しっかり工具が積んでありまして、「大抵の整備なら自分でするよ〜」とのこと。(汗)

↑車内を撮影中、「ぐーるぐーるぐーる・・・」、と、「ぐわんぐわん・・・」、という混ざったような音が、
終始しているので、オーナーさんに、「これ何の音?」って聞くと・・・

↑犯人はこの時計でしたっ!(笑)

512TRって、けっこう最近のクルマだよね。(※生産は1991〜96年まで)
たぶん日本車だったら開発段階でハネられてしまいそうな音量です。
いろんな意味で普通じゃないのね、このクルマは。

じっと見ていると、なんだか生き物みたいに見えてくるのは僕だけ?

とろけるようなサウンドを撒き散らしておりました。

個人的には、近代ポルシェ911のデザインにおいて、この993タイプが一番バランスが整っていると思います。






で、突然ですが・・・















2009年・春ごろオープン予定

Cafe Adrenaline/EAST

の計画レポート「第一弾」


・・・は? なんじゃそれ?って思われるでしょうが、・・僕もそう思います。(笑)

きっかけは、この夏に、店先に植えたバラの木。

基本的にあまり世話の掛からないバラなのですが、
それでも3日に一回くらい水をやったり、なんやかんやで手をかけているうちに、
足元が赤土であることに不満をもちはじめるわけですな。つまり靴が汚れるわけです。



世話は僕がやったり、かみさんがやったりなんですが、
どちらにしても、”ついでに行なう”、というスタンスなので、その都度靴が汚れるのはちょっと困る。
そのままクルマに乗り込むのも躊躇しますし。(・・・けど乗りますけど。)



それなら、そこらへんだけでもレンガでも敷くか〜みたいな話になったのですが、
どーせなら、もうちょっと手間を掛けて面白いやつを作ってみるか〜みたいな話になって、
なら、セメントで道を作って、両サイドを芝で固めるか〜みたいな話になって、出来たのがこれ↓


インスタントセメントは、セメント粉を自分のイメージに敷き詰めて、
あとは上から水を掛けて、3日くらい養生すれはOKなのでとても簡単です。

通常の練るタイプのコンクリートよりも若干割高ですが、施工が超簡単ですし、
強度的にも普通に人が歩くぶんには、全く問題無さそうなので今回はこれにしました。
※すでに店舗入り口の部分にて(見えるかな↓)実験済み。

↑半年くらいで、奥のようなグリーンの芝生になります。

さすがに慣れたもんで、サクサクと効率良く作業が進み、
2時間くらいで上記のように、当初予定していた「バラの木周辺」までの舗装は完了。

当然、仕入れた材料もすべて使い果たしたので、これにて終了・・・・・・







だったのですが!









「なんか、せっかく道として作ったのに途中で終わるのってヘンだよね〜」、という話になり、

「なら、奥まで伸ばすか〜」、って話になり、

「じゃあ、その奥になにがあるんだよ」、って話になり、

「たぶん、こうやって作れば、お客さんも歩くだろうから、その先に何も無いのって面白くないね」、って話になり、

「じゃあ、なんだ?何にする?つーか面白いもんってナンだよ?」、って話になり、













じゃあ、空いてる土地に
ウッドデッキでも作って、
そこを客席にでもするかー!
って話になり、



じゃあ、せっかくだから、
そこだけ別の店名にして、
違った雰囲気を楽しんでもらうかー!
って話になり、



じゃあ、ちょうど店の東側だから、
店名は、”EAST”にするかー!
って話になり・・・


















で、









現在は、「陰でアドレナリンを支えてもらっております」、と言ってもいいくらい、
僕が全幅の信頼を寄せる、当HPの管理人でもあります、ロッカー寺西氏にメールをしまして、
EAST店の説明と、僕がサインペンで描いた超ラフなロゴを添付し、(↓これね)、
で、とりあえず新店舗のつもりでやるからさ、ロゴの作成をヨロシク!って送信しました。

(↓あーごめんなさい正直ね、かる〜く酔っ払った状態で描きました・・・&めっちゃ眠かったし、テキトーやな〜/汗)




で、数日後・・・














なんと、こんなにちゃんとしたロゴを5パターンも作ってきてくれました。↓これはその一部をご紹介。

・・・ね、レベル高いよね。




現在は、
これから全て自分の手で作るであろう、
”Cafe Adrenaline / EAST”のイメージを膨らませながら、
より具体的に、どんな風にしたら、お客さんに喜んでもらえるのか?、を考えながら、
もし機会があれば、今回のプランを説明し、直接お客さんに聞いてみようかな?・・・などなど、

あれこれ思案中です。

まあ、ぶっちゃけ今回の EAST店のきっかけは、バラの木であることに間違いないのですが、
あらためて僕が思うに、今までの当HPのバックナンバー、もしくは今回の”回想3”をざーっと読んで頂いて、
なんとなくご理解頂けると思うのですが、やはり、足繁く通って下さったお客さん、皆さんに、背中を押して頂いた、
こうなるべくしてなったのだな、と思えるくらい、”みんなのアドレナリンが順調に成長した証拠”、だと思いました。

EAST店の予定キャパは、今のところ4テーブル/16名くらいを考えています。
正直、僕個人が作るには、結構大きいですし、それなりに難易度も高そうです。(汗/楽しみですが)

&これからは冬場で、思うように作業が進まないと思われますが、
とりあえず皆さんは、気軽に、のん気に、高見の見物でいてください。
途中経過は、またレポートさせて頂きますのでお楽しみに。(笑)









この12周年特別号を、このような近況報告で〆くくることができて、たいへん嬉しく思っています!




みんなー、ありがとー!









Cafe Adrenaline/水野雄一




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