web Cafe Adrenaline vol.74
2008-10-6 (月) update
since 2000
before & after
店のカウンター周りを改装してみました〜疲れた〜!
さすがに片手で一眼レフを持ったままシャッターを切るのって無謀だよね〜ピンボケだし・・・の図。
店は”生きていますから”、
その成長に応じて、必要な作業スペースなり、収納レイアウトを変更する必要がありますな、
けっこう面倒だけど。
パソコンでもそうだと思うけど、
毎日使っているからこそ、どんどんソフトやフォルダが増えていくし、
おのずと使う物と使わない物に分かれていくよね。”日々、新陳代謝を繰り返している”。
で、そのまま放置しておくと、どこに何があるのか分からなくなるし、
パソコン本体のレスポンスも悪化する。
だから、みなさんも定期的に整理整頓されていると思う。
店もパソコンのそれと良く似ていて、僕の場合、
だいたい2年くらいすると、あっちもこっちも直したい部分が出揃って、
いっきにやり直す、というパターンです。
で、今回もその一環ですが、結果的に過去最大規模のリニューアルとなりました。
とはいえ、ほとんどが舞台裏の部分でして、
非常に地味な話が多く、内容も複雑怪奇でして、おまけに長編5部作となっておりまして、
えー最終的には、”興味のある方に読んで頂けたら幸いです”、みたいな感じです。(笑)
第一章/2008年9月10日 (水)
カウンター内の窓は東向きに作ってありますので、今の時期、AM7:00だとこんな風に朝日が差し込みます。
定休日、まずはここからはじめます。
とりあえず↑や↓な部分をやり直します。 なんとなくごちゃごちゃしてると思わない?
ドリンク専用とはいえ、2口のガスコンロでは役不足になってきたということで、
IH調理器(画面中央の白いやつ)を一台追加。
これで劇的にお湯の確保が楽になったのですが、
と同時に、貴重な作業スペースを失うといった問題が浮上します。(・・・当たり前か)
ま、ぶっちゃけコレが今回リニューアルをするきっかけでした。
いきなりですが、上がbeforeで、下がafter。
IH調理器は窓側のすみへ移動し、トースター(黒っぽい四角いやつ)は棚の2階へ。そのための棚は新設計。
で、トースターに追いやられる格好で、ドリッパーがぶら下がったアンティークなラックはカウンター側へ移動。
この際、柱が必要となり、頑張って立てるのですが、
長さ1700mm以上の材木を、ちゃんと垂直になるよう設置するのは容易ではない。
水平器で測るのだが、僕のもっているやつじゃあサイズが小さ過ぎて、
いったいどこが水平なのか全くわからず、最終的にはタコ糸の先にシャープペンをくくりつけて、ぶらさげ、
それで測定する、という非常に原始的な方法によって行なわれました。ま、結果オーライやね。(笑)
↓で、その柱を下から見上げた図。
↑コレが柱
できあがってしまえば何てことないですがが、ちゃんとした計器も無しにやるのはけっこう大変よ。
6個のドリッパーは、こんな風にぶら下げます。
たぶんどこの店でも、洗ったあとは自然乾燥だと思うのですが、
こうやってぶら下げるのが一番早く乾きますし、衛生的だと思います。
で、紅茶を収納しているラックも、カウンター側へ移動し、立てた柱に固定します。
固定方法は、↑このように柱に木ネジを打ち込み、それをアンカーとして、
ラック本体と一緒にタイラップで巻けばOK。
もう一箇所は、こんな風に足に固定。
けど、ここは化粧板なので、普通のオーナーなら木ネジを打つなんて気絶しそうな行為かも知れませんが、
ある程度の強度を求めるならば、これはこれで致し方ない・・・と思うのは・・・僕だけ?
これはそこそこ大きいラックですが、たったこの2箇所を固定するだけでビクともしません。
当店のドリップは、ペーパーフィルターを使っているのですが、これが案外、収納スペースを取るんだよね。
だから、こうやってデッドスペースを利用して、元箱ごと画鋲で刺して固定すると超便利。
是非ご家庭でもお試しあれ!と言いたいところだけど、一般家庭に3種類のフィルターを揃える必要なし。(笑)
こういった使えそうな空き瓶は洗って、拭いて、一日こうやって置いておくと、
太陽光によってある程度の滅菌ができます。ここは、そーゆースペース。
客席から見るとこんな感じ。
第二章/2008年9月17日 (水)
で、今度は画面右側の部分をやります。
↑このへん
が、こんな風になりました。↓
とにかく今回のテーマは、作業スペースの大幅な確保。
おかげさまで、最近は団体さんが多く利用してくださるので、
これくらい徹底的にやらないと仕事にならないし、高いクオリティも望めません。
だから今まで作業台の上に置いていた物は、すべて棚のうえに上げ、
尚且つ、スタッフがテンポ良く仕事が出来るよう、器具や食器をレイアウトします。
これをミスると、たちまち作業効率は低下し、
そればかりか、理にかなっていないレイアウトをしようもんなら、スタッフの士気も下がる。
「アホやな〜このオーナーは、なんも分かっとらんな〜」、と思われたらアウト。
そのためにもオーナーは自ら、普段の営業から体を使って、汗をかいて、両手を動かして、
いかに効率良く、多くの仕事をさばくには、何処をどんな風に改善したらいいのだろう?
ということを日々興味をもって、楽しんで考えなくてはいけない。
ある意味、このようなちょとした改装って、
オーナーが、店のこと/現場のスタッフのことをどれだけ理解しているか、を示す試金石かも知れない。
シロップの残りが少なくなったら、このようにU時型のパイプ止めを利用して、逆さにしておけばOK。
第三章/2008年9月30日 (火)
いよいよ最後のエリアに着手。
この日は、普段の営業も行ないながら、朝から着々と作業を進めていきます。
とりあえず今まで↓こんな感じで使ってきました。
まあ、これはこれで素朴で、カントリーぽくって可愛らしいと思うのですが、
いかんせん今回のテーマからは大きく外れるので、根本的にやり直しです。
とりあえず僕の頭の中にあるイメージでは↓このライトではNGなので、新調します。
そう、このような↓フレキシブルな首をもったタイプのライトが欲しかったので買ってきました。
ランチタイムが過ぎたところで、いきなり撤去作業が始まります。
ざっと計算しても、定休日明けの木曜日に間に合わせようとすると、
これくらいのタイミング(火曜日の午後)から始めないと絶対に無理だろう、と考えたからです。
いっきにバラします。
もちろん多くのパーツが再利用できるよう、丁寧に分解し、保管し、
ついでに壁、スイッチパネルなどの汚れ落としも行ないます。
なんでだか分からないけど、僕の中でここ最近のアドレナリンのイメージカラーは、
ダークブラウンなので、このように全てペイントし直します。
すでにpm5:00の閉店時間をまわっているので、このように店の出入り口で作業をしてました。
まあ、とりあえず、今日はここまで作っておけば上等でしょう。
ある程度、体も休めないと・・・。(汗)
第四章/2008年10月1日 (水)
上記の翌日。
この日は、定休日なのでいっきに仕上げるぞー!といきたい所ですが、
残念ながら予定がぎっしりで、日中はほとんど作業ができず。
つーか、夜も消防団の仕事があり、なんと最終仕上げは深夜となる。ハードやで〜。
なんとなく統一感、でてきたよね。
ティースプーン、お箸、ガムシロ、コーヒーフレッシュなどを入れておく箱も当然作りました。
うーむ、この画像だとちょっと分かりづらいけど、
スイッチの部分だけ、棚を避けて作ってありますが・・・見えるかな?
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で、
pm11:00 とりあえず完成! ねむてー!
このようにコードはステップル(U字型のくぎ)で、丁寧に留めていきます。
正直けっこう面倒な作業だけど、
これをやるのとやらないとでは見た目の印象がずいぶん違ってきますので、仕方なく 楽しんでやります。
で、棚の背面には、コードが通れるように、切り込みが入れてあります。
さーすがに眠いので、この日はここまで。
翌朝、10月2日 (木) 食器たちが無事入居しました。ぎりぎりセーフ!間に合ったね。
befor&after
オープン以来、もうすぐ12年になるな〜、ずっと愛用している栓抜き。
当時取引していた酒屋さんから頂いた物。
やっぱ、栓抜きはデカくて重たいやつに限るわ。ラクだもん。
この子たちは、こーなります。
なんか、この一ヶ月間、楽しかったわ。長かったけど。(笑)
第五章/番外編 ”掛け軸”
店内の壁にどーん!と飾ってある掛け軸ですが、
これまで一度も取り上げてこなかったので、これを機会にご紹介したいと思います。
これは2006年の夏に、
僕の高校時代からの同級生/朱音聖子さんが描いたものを譲ってもらった物です。
たまたま名古屋で行なわれた恩師の個展に行った時に、
そこで出品されていた彼女のこの作品を見た瞬間、脳から、「この掛け軸を買いなさい」、
というお達しがありまして、(※たまにあるんだよね〜ビビビ!ってやつが。ベック550スパイダーを買った時もそうだったし)
さっそく作者である彼女に連絡をして、「買わせてくれ〜!」とお願いしたところ、
ひとつ返事でOKしてくれ、しかも、「値段はみっちん(※僕のあだ名)が決めてよ」、ときた。
困ったぞー、掛け軸なんて買ったことないし、と困惑していると、
やんわりと制作費用を教えてくれ、それに幾らか上乗せした金額を提示し、OKをもらい口座振込みをした。
しかし、後になっていろいろ聞いたり調べたりしてみると、
彼女は僕が思っていた以上の実績を残しており、知名度があり、その業界では有名な人に成長していた。
決して、過小評価をしたつもりは無かったのだが、知らないということは、なんと恐ろしく、なんと愚かなことか。
僕は、”彼女の作品の相場”、をはるかに下回る額で譲ってもらっていたのだ。ほんま恥ずかしい限りです。(苦笑)
初めて彼女に会ったのは、お互い16歳の頃、高校1年生のとき。
僕らの通っていた高校のデザイン科というのは、
けっこう絵の上手いやつが集まってくる学校で、
変な話、彼女よりも絵の上手いやつはゴロゴロいたし、
ぶっちゃけ当時の彼女のデザイン力/デッサン力は、それほど目立つ方ではなかったし、
どちらかといえば不器用な方だったと記憶している。(失礼!/笑)
それよりも当時はみんな、彼女の歌唱力に注目していたと思う。(笑)
さすが、いろんなコンテストに出場していただけあって、まず発声からして普通じゃなかったし、
艶やかで、伸びのある歌声は高校生離れしており、いつも拍手喝采だった。(修学旅行のバスの中とかね)
よく冗談半分、本気半分で、「歌手になればいいじゃねーか」、と言ったものだが、
きまって、「上には上がいるのよ〜」、と煙に巻かれた。
まあ、世の高校生の大半がそうであるように、僕もそうだったし、きっと彼女もそうだったと思う、
”何に対しても中途半端で、何に対しても自信が無かった”、そんな時間を共有していたんだと思う。
高校卒業後も、なんやかんやでよく皆で集まっては、安い居酒屋で飲んでは、騒いで、
将来のことについて語り合ったりしたものだが、そんな時でも、”やりたいことが見つからない”、
”湧き上がってくるエネルギーはあるんだけど、何にぶつけていいんだか分からない”、
という、右に揺れたかと思うと、左に揺れ、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、悩んでみたり・・・
もともと感受性が強かったのだろう、些細なことでも傷つきやすかったし、
普通の人が見れば何てことない風景でも、彼女としては号泣するくらい感動的なシーンに見えたり・・・
と、まあ凡人の僕からすれば、完全な芸術家肌に思えたし、ガラス細工のような人に思えた。
しかし、歳をとるにつれ、相変わらず年に数回は必ず集まって、酒を酌み交わすうちに、
「なんか〜こいつ〜だんだんとタフになっていくな〜」、という印象をうけるようになった。
たしか30代になってからの頃だと思う。
なんだか分からないけど、独自のオーラを放ち始めたのもこの頃。
具体的にどこが?と聞かれても困るのだが、
20年以上も仲間として付き合ってきてそう感じるのだから、たぶん間違いないと思う。
その間、彼女に何があったのか僕は知らないし、
本人に聞いたところでこれといった明確な答えは出ないと思う。
そんな簡単に、”瓢箪から駒”みたいにコロッと変われるものではなくて、
今回のキーワードのひとつでもあるけど、
”生きていますから”、と、
”日々、新陳代謝を繰り返している”、という事につきると思う。
ただし断言できるのは、彼女が本当にやりたかった事に対して常に誠実で、
それに対する努力を惜しまず、決して潤沢な資金があったとは思えないけど自分への投資を怠らなかったこと。
遠巻きに見ていても、それは充分過ぎるくらい感じることができたし、
と同時に、安易で、楽な方へ、儲かる方へ、と靡かなかったことが大きいと思う。
もがき、苦しみ、何かを得て、何かを捨て、確実に自分の居場所を見つけ、
幾度となく体調を崩したと聞くけど、自分にしかできない方法で、社会的自立を果たすため、
自分の将来に希望を見出すため、いろんなスキルを身につけ、職業の選択/決断をした結果だと思う。
数年前からは、得意の筆文字を生かした仕事や、プライベートな創作活動も行ないつつ、
なんと、デザイン学校の講師まで勤めるという活躍ぶりである。恐るべし!
そして、この掛け軸を譲ってもらう時に、メールでやりとりしたんだけど、
この”観音様シリーズ”は、これが5作目だということ。つまり、どっかにこの兄弟が4つもあるんだ!会ってみたい!
そして、これを完成されるのに65枚も描いたということ。つまり、64枚はパーにしたということ。
彼女曰く、「65枚目で心技体が一致しました」、とのこと。うーむ、恐ろしい集中力やね。すごいとしか言いようがない。
で、なんで観音様なの?、という素朴な疑問も生まれるんだけど、
それは観音様を調べてみると答えはすぐに分かると思う。
”広く世音を心で観、心で聞いて、苦しんでいる人、悩んでいる人を救うという誓いを立てた菩薩”、とある。
つまり、彼女自身、これまでも何度となく観音様に救われ、(スピリチュアルなものも含め)、
今度は、彼女が観音様を描くことで、それを見た人になにかしらの”心の安らぎ”を与えているのかも知れない。
彼女と話していても宗教的な意味合いはほとんど感じられないが、
この観音様の教えには、実に忠実なようである。お見事!
ここ最近は、全くアルコールを飲まなくなった彼女だが、相変わらず集合が掛かると必ず来てくれ、
僕にとっては、欠くことのできない飲み友達であり、姉のようでもあり、妹のような存在である。
Cafe Adrenaline/水野雄一
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