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web Cafe Adrenaline vol . 54

2007 10-30 update since 2000

おかげさまで11周年
1996〜
回想2〜2007
〜歴代ポストカードと、秘蔵写真(?)と共に振り返ってみます!〜



はじめに
題名「明日と、お客さんと、私」


よほどの大病をして生死の境をさまよったり、
戦争などに巻き込まれて危うく命を落としそうになったりでもない限り、
日常生活において、生きていることついて、あまり深く考えることも少ないと思われますし、
また、世間ではそういった状態を「幸せ」と呼ぶのかも知れません。

そして、「明日」という日についても同様で、「明日は来て当たり前」、という考えになりがちで、
ひょっとすると、それすら思わないかも知れません。

今回は、カフェ・アドレナリン.11周年企画ということで、この11年を振り返ってみますが、
これまで僕も、「明日は来て当たり前」、と思ってやってきましたが、
いざこうやって振り返ってみると、つくづく、「当たり前ではなかったな」、と考えが芽生えました。

僕にとっては、
明日という日も、足繁く通ってくださるお客さんの存在も、なんら保障の無い中で、
それでも、こうして11年もの間、カフェを生業にして、生きてこられたことは、
本当に感謝という言葉以外見当たりません。

振り返ってはじめて気付くこと。
それは、生きてきた証である足跡を、こうやって書いてみた時、
その、「長さと、重さと、尊さを」、ずーんと実感しますし、
それはまるで、平松愛理の「部屋と、Yシャツと、私」、のようでもあり、
篠原涼子の「恋しさと、せつなさと、心強さと」、のようでもあります。(ありません!)

冗談はさておき、あらためまして、
僕を取り巻くすべての方々に、「有難うございました!これからも宜しくお願いします!」です。

なので、あえて大病をしなくても、戦争を体験しなくても、
当たり前の日常生活に、素直に感謝できる心を持ち続けたいと思います。

今回は、前回のvol.43/10周年「回想」と同じ時間軸で振り返っていますが、
内容的には、過去に誰にも語った事のない、取り上げたことのないエピソードを中心に構成してみました。

いきなり冒頭のご挨拶から、真面目さと不真面目さが同居しておりますが、
これもわたくし水野雄一の本来あるべき姿ということでご勘弁頂けたら幸いでございます。



カフェ・アドレナリン.店主/水野雄一



















これは1996年7月下旬、オープン用ポストカードを作る際、自宅でテスト撮影をした時のもの。

中央にあるコーヒーミルは、高校時代に購入したもの。
たぶん、普通の高校生は自分の小遣いでコーヒーミルなんて買わないと思うし、
’80年代当時、まだまだカフェブームの気配すらなかったので、ずいぶんと変な高校生だったと思う。

卒業式を目前にした高校3年のころ、僕は卒業後、とあるインテリア会社への就職が決まっており、
そのまま会社が用意してくれたアパートに一人住まいをすることになっていた。

よって、最低限の生活に必要なモノはいくらか親に援助してもらう約束をとりつけ、
それ以外に欲しい物は、ガソリンスタンドでバイトしたりして自分で購入していた。

とはいえ、夢多き名古屋の高校生にとって、月/1万円あるかないかのバイト代なんぞ、
洋服代、レコード代、交際費へと瞬く間に消えてゆき、いつも財布はすっからかんだった。

なので、まあ一応、念のため、「今の僕にとっては必需品なんだけど」
と、それとなく買ってくれるよう親に打診してみたが、

即座に、
「たーけ!そんなもん要らん、どーせ使うのは最初だけだろ、もったいない!」、と父親に却下された。
※ちなみに、「たーけ!」、とは名古屋弁で、「たわけ=馬鹿者」といった意味。(涙)

しかし、どーしても諦めきれなかった僕は、なんとか自分で工面して、財布の中に1万円弱を入れて、
名古屋/大須商店街の中にある松屋コーヒーの業務用コーナーへ行き、あれこれコーヒーミルを物色した。

僕の実家は、名古屋の中心部/栄の近くで、暇さえあればプラプラしていたし、
大須もよく通っていたので、どこに何があるかは大体把握していた。

とはいえ、「松屋コーヒー/業販致します」、みたいな看板は高校生にとって、かなり敷居が高く感じられ、
実はこの時、心臓バクバクで、はじめて入店したのであった。

おそらく店員から見ても、「なんじゃコイツ、さっきからウロウロしやがって」、と思われたかもしれない。

なんやかんやで1時間以上店内をウロウロした頃、
ふと見上げた商品棚の上に、キラーン!と光って見えたコーヒーミルがあった。

しかし、それには値札が付いておらず、いったい幾らなのか検討もつかなかったが、
次の瞬間、僕は店員を呼び寄せ、「あのコーヒーミルを下さい」、と言っていた。

その時のミルがこれ。
画像では分かりにくいが、ボディの真ん中がレトロな地球儀のデザインになっていて無茶苦茶カッコイイ。

すると50歳くらいのベテラン風の男の店員が、
「えっ、あれ?」、と指差し、「そうです」、と答えると、
ちょっと困った顔をして、「うーんと、あれは売り物じゃないんだけどなあ〜、ちょ、ちょっと待っててね」、
と言い残し、事務所みたいな部屋へ入って行き、しばらくすると、
「はい、いいですよ、6,800円になりますけど、いいですか?」、と聞かれ、

僕は、”そんなん当ったり前じゃん!”、みたいな顔をしつつ、
内心、「マジ?高っけー!!」、と思いつつ、
「はい、いいです」、と答えつつ、さらに、
「ついでにドリッパーと、ネルのフィルターも下さい」、などとエラそうな事を言っていた。

これは僕の性格だと思うけど、
たとえそれが全く未経験なことでも、相手に絶対にそれを悟られないようにしようと思うし、
またその行為が、やたら僕のモチベーションを高めるし、
どちらかと言わなくとも、「最初はナメてかかるクセ」、があり、
その直後、まるでお尻に火がついたかの如く、誠実に勉強したり、猛烈に練習したりして、
最後はなんとか帳尻を合わせ、また涼しい顔をする、という実にヒネくれた習性がある。(笑)

この時も、コーヒーミル、ドリッパー、サーバー、ネル、と一式を買った時点で、帰りの電車賃すら無くなり、
「やべ、肝心のコーヒー豆が買えんがや!」、と思いつつも、何食わぬ顔で支払いをしていると、

まるで僕の心を見透かしたの如く、それとも単なるサービスなのか、それはわからないが、
ベテラン店員が、「これ、よかったら飲んでみてください!」、とコーヒー豆を小さな袋に入れて差し出してくれた。

内心、そりゃもう涙がどーどー出るほど嬉しかったけど、ニコっと笑って、
「ありがとうございます」、と言って、店を出た。
そして、家までアホみたいに歩いて帰った。

結局このコーヒーミルは、一人暮らしをはじめてから、そして結婚してからも使い続け、
なんやかんやでアドレナリンを立ち上げる直前までの9年間、ほぼ毎朝ゴリゴリ使ったので、
本当に、僕の人生において必需品だった。

さすがに独立後は、業務用の電動ミルに慣れてしまうと出番は無いが、
それでも大切に保管してあるので、またいつか、使える日が来るといいなと思っている。

ある意味、僕の原点やね。

この画像も同じくテスト撮影。

これはかなり、こっぱ恥ずかしい画像だが、
まだ完成していないアドレナリンをイメージして、なんとか自宅でそれを再現しようとしたのがこのショット。
べつに夫婦向き合ってコーヒーを飲むのはいいにしても、それを撮影されるとういのは異常に照れくさい。

名古屋アドレナリンのオープン前の準備期間に、よく聴いていたのがこのレコード。
キャノンボール・アダレイが、1958年に録音した、
”ThingsAreGettingBetter”というアルバム。

よって、名古屋アドレナリンを作った時のイメージは、このアルバムが似合う店、だと言っても過言ではない。

出店に関して、いろんな意味で行き詰まると、このレコードを聴き、
出店に関して、次々と起こるアクシデントに悩まされては、このレコードを聴き、
幾度となく、やっぱし独立なんてまだ無理なのかな?、と思ったこともあったが、
そんな時こそ、自分を信じ、気分転換を図ることが必要で、
かみさんの前では、あまり弱みを見せることなく、缶ビールを何本も空けつつ、
このレコードを聴いてはパワーをもらった。

優しく、すべてを包み込むような、温かみのある、キャノンボールのアルトサックスと、
非常にクールで、繊細で、まるでガラス玉が転がるような、耳に心地良い、ミルトジャクソンのヴァイブ。

この「ホット&クール」という絶妙なコントラストは、
今尚、僕がアドレナリンに求める重要なコンセプトであり、
このレコードA面/2曲目のタイトル曲でもある”ThingsAreGettingBetter”を聴くと、
あの頃の、いくら自分で蒔いた種とはいえ、誰にも相談できず悶々と苦しんだ日々のことを思い出しますなぁ。



↑そして、これら一連の撮影をしてくれたのが、左側の加藤氏。右側が僕。(・・にしても二人とも若いな〜)

高校時代からの友人で、僕とは全く性格の違う優等生タイプ。
現在は、名古屋で「texoneinc./テックスワン」という、ニットを中心としたアパレル会社を立ち上げ、
代表取締役として、相変わらずクレバーな采配を振るっている。愛車はBMW・Z3ロードスター。


そして、数十枚に及ぶ撮影のすえ、採用されたのはこの画像であり、
記念すべきアドレナリン/ポストカード第一弾がこれ。

あえてモノクロにしたのは、正直言って、
まだ当時の僕の中で、実際のアドレナリン像は雲をつかむような存在で、
具体的なイメージは浮かんでおらず、それを誤魔化すため、と言っては身も蓋も無いが、ま、そういうことやね。

↓これは裏面

オープン前に、できるだけ多くの人に伝えたかったので、8月下旬には印刷が仕上がって手元にあった。

当時まだ、店舗の工事は30%くらいしか進んでおらず、(※工事の進行状況としてはあくまで予定通り)、
いつ完成するか決まっていなかったので、(※そりゃ当たり前)
よって、オープン日も明記されず、営業時間もAM7:00〜PM10:00、と表記したものの、
脱稿した直後、やっぱし朝よりも夜をメインにやった方がいいだろう、という事になり、
ご覧のように、サインペンでAM11:00〜AM0:00に訂正される。

これを受け取った知人からは、
「おいおい、いきなり営業時間変更かよ〜、これじゃ先が思いやられるなあ〜」、と辛口コメントを頂戴したが、
あえて、新聞の折込広告などを使わずに、完全に手配りでオープン告知をやろうとすると、
やはりオープン2ヶ月前から始めないと間に合わないと考えていたので、
これくらいの変更は仕方ないし、問題なし、と思った。

↑の手書きの部分は、僕が書いたものを手本にして、かみさんが書いたもの。

こうやって一枚一枚書いて、近所のポストに投げ入れて回ったり、
街中でスポーツカーや外車を見つけては近づいていって、頭を下げて手渡してPRしていた。

そして、こういった作業は1996年10月20日のオープン以降も続けられた。

というもの、比較的順調なスタートを切ったとは言え、やはり好不調の波は激しく、
ひまさえあれば、書いては、ポスティング、書いては、ポスティング、の日々が続いた。

つーか、若葉マークの経営者は、こうでもしなけりゃ「暇という恐怖から逃れることができなかった」、
といった方が正しいし、ぶっちゃけ当時の僕には、これくらいしか打つ手がなかったし、
もし、これで鳴かず飛ばずだったら早々に店じまいだったかも知れない。





ポストカード第2弾/1997version。そして僕が撮影したのはここから。

おそらく撮影されたのは1996年11月下旬だと思われるので、オープン1ヶ月後の状態やね。
まだクルマ関連の本や、おもちゃなどの数も少なく、ジャズっぽさを感じさせるモノも少なかったので、
よく美容院に間違われました。ま、なんとなく分からんでもないけどさ。(笑)

この頃の営業時間は、AM11:00〜AM12:00。
今にして思えば、こういった趣味性の強い店にしては、ずいぶんと中途半端な時間帯だったと思う。

けど、それでも当時は一生懸命で、この13時間営業をずーっと夫婦2人でやっていた。
立ち仕事に慣れていなかったカミさんは、当初、「足が痛い、腰が痛い」、と、
飲食業なら誰でも経験するであろう洗礼を受けていた。

尚且つ、定休日である水曜と祝日が重なった時は、迷わず営業し、
だからといって代休を取るなんてこともしなかった。
なので二人とも、常時睡眠不足で、頭がポワンポワンしていた。(笑)

そして幸運な事に、この頃すでに多くの常連客に恵まれており、
カウンターに座られたお客さんの話し相手は、ほとんどと言っていいほど僕の仕事であり、
ネタの内容は、クルマ関連はもちろんのこと、仕事、恋愛、結婚、離婚、と多岐にわたった。

とはいえ、ゆーても、当時28歳の僕なんぞ、大した人生経験もなく、
しかも、前途のように、いつも頭がポワンポワン状態だったので、具体的に何を喋ったか記憶に無いけど、
結果的に、お客さんは大満足で帰られた。
※いや、本当は僕の事を気遣って、大満足のふりをして帰られたのかも知れないな。





第3弾/1998version。

右側のぺちゃんこに見えるクルマは、銀色のベック550スパイダーが2台。
もうこの頃は、毎夜毎夜クルマ趣味のお客さんでごった返し、店内喫煙率90%くらいで、
決して否定的な意味ではないが、とにかく、やたら、びっくりするくらい男臭かった。

そんな男衆のリクエストに応えるべく、思い切って営業時間を変更した。
月〜金曜日/PM6:00〜AM2:00
土曜日/PM0:00〜AM2:00
日祝日/PM0:00〜AM0:00

要は、「俺達が仕事が終わってから寝るまでの間、アドレナリンを提供してくれ!」、というものだった。

すでに、この前年の途中から、
閉店時間の深夜12:00あたりに集客のピークをむかえる日もザラで、
なんやかんやで深夜3:00にようやく閉店、なんて日もあった。

だから、比較的売上げの少ない昼の営業はカットして、
なんだか知らないけど物スゴイ勢いで盛り上がってきている深夜営業をメインにすることは、
ごく自然の流れだった。

ところが深夜営業に切り替えると、
いままでファミレスで時間をつぶしていたような若い女性客も来てくれるようになったのは嬉しい誤算。

以降、着実に女性客は増えていき、
僕としては、アドレナリンとしては、どんどん未知の世界へ突き進んで行くのであった。






第4弾/1999version。

この頃、僕らは、まるでスナックのホステスさんのような生活に、どっぷり浸っていた。

だいたい深夜2:00に閉店して、
それから遅い夕食を食べ、自宅に戻り、風呂に入って、
テレビをつけると深夜番組特有のどろ〜んとした内容が多くて、
ふと、新聞のテレビ欄をみると、自分が見れる時間帯がほとんど無いことに気付き、
べつに、そんなにテレビが見たいわけじゃないけど、
なんとなく、ぼんやりと、漠然と、正直、「あー、こんな生活はいつまで続くんだろうなあ」、と思った。

そして翌日、昼頃に起きて、
ユーノスに乗って、銀行へ行ったり、仕入れに行ったりするのだが、
とにかく、運転中、太陽の光が眼球に突き刺さるくらい眩しく感じるようになった。

まあ個人差はあれど、夜の商売をしている人が昼間に活動する時に、
(ファッション性を兼ねてかも知れないけど)、
起きて、いきなりサングラスを掛ける、というのは定説のようで、
僕も知らないうちにそうなっていた。(笑)

こうなると、ますます世間一般の流れから、かけ離れていく感じがした。

まあ別に、ネクタイを締めて、満員電車に揺られて、みたいな労働環境が正しくて、
それ以外がアウトローだとは思わないけど、
ただ、平日の昼間からサングラスを掛けて、ユーノスに乗って、
レコード屋さんとかでぷらぷらしていると、「あーあ、いい歳してフリーターかい?」、
みたいな目で見られることもあった。

また、そんな時に限って、僕の携帯電話が鳴って、業者さんからで、とっくに昼間なんだけど、
「あ〜まいど〜、おはようございます〜、はいはい、え?今日入荷しないの?マジで?勘弁してよ〜」、
みたいな会話をしていると、「お前、絶対に怪しい!」、みたいな表情になった。(笑)


↑この頃は、地元/名古屋の情報誌に出まくった。

効果の程は・・・・、
まあ一概には言えないけど、最終的には、「その時の運」、としか言いようが無いけど、
しかし、雑誌記者の(カメラマンも含む)、取材能力の差は大きいな、と思った。

つまり、その店のプロフィールや、お薦めメニュー、などが知りたいならは、
FAXやメールで十分に伝わると思うし、それで事足りると思う。

そこをわざわざ記者を使って、取材をするならは、
もっと、その記者ならではの視点で、感性で、やるべし。

記者の役目は、単に、その店のオーナーから聞いた事実の羅列を文章にするのではなく、
読者の立場に立って、○○という雑誌の店舗紹介の記事は面白い!、と思わせないと意味が無い。
むろん、無理して事実とは違う脚色をすることなく、
また、その店を否定することなく、表現しなくてはいけない。

なぜか。
それは、自分の書いた記事が掲載された「雑誌」が売れないといけないから。
それが、至上命令だと思うから。
そのためにカメラマンは、いい写真を撮らなくちゃいけないし、
ライターを兼ねた記者は、いろんな制約がある中で、読ませる文章を書かなくてはいけない。

世に氾濫する情報誌の中から、いかにして自分の所属する「雑誌」を手に取ってもらうか?、
普段、立ち読みで終わっちゃうところを、いかにして財布のひもを緩めさせるか?
要は、どうやって人の心を動かすことが出来るか?、だと思う。

それには、云わずものがな、「内容」、でしかない。





・・・・というような話を、時間があれば、取材終了後に記者の人に話すことがあったが、反応は様々で・・・、

「そうですよね!」、と素直に共感していただける場合もあるが、

しかし、

「そうなんですけどね〜、なかなかね〜」、と言いつつ、目の奥から、

「月/何十件もの似たり寄ったりの店ばっか取材して、
オーナーのコメントだって似たり寄ったりで、にっちもさっちもいかなくて、
まるで骨と皮みたいな内容を、なんとか一生懸命、膨らませて、記事にしてんじゃん!
つーかさ、なんで、あんたそんな面倒くさいこと言うわけ?」

・・・みたいなビームを発せられた事もあった。(笑)






※ちなみに、上記画像の「ブルゾン」誌に掲載された時の反響は、なかなか良かったと記憶している。
がしかし!、駐車場14台って、すごい誤植やなあ〜。
もし、ホントに14台分もあったら、たぶん移転してなかったと思うけど。(笑)









第5弾/2000version。

東海地方で、スポーツーカーをサーキットで楽しんでみえる方ならご存知かもしれないが、
岐阜県瑞浪市にある「YZサーキット」。

そこのコースアドバイザーであり、イベント企画のプランナーである山本氏より、
「今度、耐久レースがあるので、うちへアドレナリン弁当を作ってデリバリーしてくれませんか?」、
との依頼があった。

たまたまレース開催日が、定休日の水曜だったため、ひとつ返事でOKした。

以前にも、同レースに、カレーライスを出張販売したことがあったし、
なにより、山本氏の頼みとあっては断る理由など無かった。

さっそくメニューを考え、火曜日の営業終了後の深夜2:00から、
1個/600円(大盛りは700円)売りの弁当を、60個作り始めた。

内容は、炊き込みごはん、ハンバーグ、から揚げ、なすとトマトのパスタ、
ウィンナーとピーマンの炒め物、ポテトグラタン、という定番だったが、
これらを全て手作りとなると予想以上に大変だった。

そして、なにより、睡魔との格闘が大変だった。(笑)
閉店後の客席の4テーブルに、60個の空の弁当箱をズラっと並べ、
調理したものをある程度冷ましてから、次々に弁当箱に盛り付けていく。
こういった作業は、僕が修行時代に毎日やっていたことなので、
はじめのうちは、「なんか、なつかしいなあ〜」、みたいな感じだったが、
さすがに一睡もせず、朝4:00過ぎまでやると、意識が朦朧としてきた。

朝5:00、完成。
いったん自宅に戻り、朝9:00まで爆睡し、それからまた店に戻って弁当を段ボールに詰め、
この時、幸運にもユーノスは車検だったので、代車のオンボロのファミリアに弁当を満載し、
(※ユーノスには到底乗らない量だった)、僕一人で、YZサーキットへ向かった。

11:00前には到着。
生憎の雨だったが、すでにレースは始まっており、
カリカリにチューンされたレーシング仕様のAE86や、2代目CR−Xなどが、
クアアアアアアアーン!と水しぶきを上げながら爆走していた。

いくらアマチュアのレースとはいえ、
ひとつ間違えば大惨事につながるし、また雨の日は特に要注意とあって、
普段にこやかな山本氏も厳しい表情でサーキットの情況をチェックしていた。

そんな彼に、遠くから、「おーい!来たぞー!」みたいな感じで手を振ると、
氏も、「サンキュー!」みたいな感じで手を振ってくれ、
そのまま場内アナウンスで、
「えー、只今、名古屋より、アドレナリンさんがお弁当を持ってきてくださいました。
レース中ではありますが、ピットクルーの方、もしくは観客の皆様、
サーキット内事務所にて販売を行います。どうぞお買い求めください。」、と言ってくれた。

そしてボツボツ、運営スタッフやら、出場選手らが買いに来てくれた。
しかし、昼12:00を過ぎても10個以上も余っていた。
これは、観客を見込んで10個くらい余分に作ったものだが、
いかんせん平日の水曜日で、しかも雨、となると、ほとんど観客などいない情況だった。

正直、今回は薄利の弁当だった。
なので、完売でやっとこさ利益が出るかな?、という程度だったので、
10個以上、つまり6,000円以上の赤字がそこにあった。

困ったな、と思いつつも、ここでじっとしていても絶対に売れないと思い、
早めに切り上げて、少し離れたところにある「モーターランド・サーキット」へ売り込んでみようと考えた。

そう山本氏に告げに行くと、
「ほんと?ごめーん!悪かったねー。」、と言いつつ、
「じゃあもう一つ、いや二つ買わせて」、と言ってくれた。

そして僕はみんなにお礼を言い、大急ぎで、
もう完全にATがバカになって、いつまでたっても2速から3速にシフトアップしてくれない
ボロのファミリアをかっ飛ばしながら、いや実際にはかっ飛ばせず、モーターランドへ向かった。

そして早速、事務所へ行き、事情を説明し、
渋々だったがなんとか許可を得て、サーキット内で弁当の売込みをすることになった。

しかし、時すでに遅し!
みんな、たらふく食ったあとだった。(涙)

この日は通常のサーキット走行ではなく、わざとタイヤを滑らせながら走る「ドリフト族」のご一行で、
FC/RX−7やら、S13や14のシルビア、といった、漫画「イニシャルD」な人達で溢れかえっていた。

それでも雨に打たれながら、あちこち売り歩いてなんとか2個を売った。
そして最後に、事務所へ感謝のあいさつに伺い、お礼として2個置いていくと、
そのスタッフは「ラッキー!」と大喜びだった。










「はい、終了!、今日はここまで。」、と自分自身に言い聞かせた。

金額にすれば大したこと無い赤字だが、
この時ばかりは、なぜが、とてつもなく敗北感を味わった。

おそらく、その理由は、
アドレナリンを立ち上げて以来、ここまで、それなりにお客さんの支持を受け、
決してそれに甘んじる事は無かったと思うが、それでもかなり恵まれた、恵まれすぎた環境で商売をしてきた。

なので、アドレナリンの外での商売に関しても、
それほど警戒感はなかったし、全く知らない場所でもなかったので、
正直、漠然とした勝算はあったし、完売して当然だと思っていた。

ところがどうだ。
いろんな不運に見舞われたとは言え、
たしか最終的に8個くらい残ったと思う。

これははっきり言って、僕の精神的なミス。
つまり、自惚れ、としか言いようがなかった。

人によっては、笑って済ませて、8個の弁当、ゴミ箱へ直行、なんてできるかも知れないが、
僕には出来なかった。

帰りのクルマの中で、俺もまだまだ、アドレナリンもまだまだやな〜、と思った。

正直、この時ばかりはあまり名古屋へ帰りたくなかったので、
さっきバカにしていた、いつまでたってもシフトアップしないAT君に「のんびりいこうぜ」、
と宥められている気がして、余計に涙がちょちょ切れた。(笑)





↓これは裏面

この年からやね、ホームページを始めたのは。

この頃の世間では、何を根拠にそう言っていたのか分からないけど、
「これからの時代は、ホームページを作らないと満足な集客は得られない!」、
みたいな論調があったけど、僕は当時から、「それとこれとは話が別」、と思っていたので、

あえて、ホームページ内でクーポン券を発行したりする行為は避け、
僕が普段の営業ではなかなか言えないことを、
僕なりの視点で、思う存分、書こうと決めました。

そして、すごーく遠回しだけど、
これが僕が最も理想とする、そして最も僕らしい、「宣伝広告のあり方」、だと思っています。















第6弾/2001version。

以前にも書きましたが、この年に、中津川への移転を決意しました。

この時点で5年目に突入しており、僕の経営に関する考え方も随分と変わっていました。

というのも、商売、ゼロからスタートして5年間継続するということは、かなり難しく、
もし、それが出来たとしたら、大筋で、その経営方針、手法は間違っていなかったと判断できるだろうな、
と思えるようになっていました。

なぜならば、仮に、軍資金1億円があったにせよ、
もし、5年間赤字続きで、お客さんの支持を得られないと感じたとしたら、
金銭の問題ではなく、まず、精神的に参ってしまうと思うのです。

事実、これまでに、そういった痛々しい例をいくつか見てきました。
そして、その多くは、決して自らの経営のあり方について言及する事は無く、
モチベーションが下がったとか、もともと出店する事に意味があったとか、いい思い出になったとか、
時代の流れが悪かったなどのコメントを残し、廃業していきました。

僕が思うに、いくら苦し紛れのコメントとは言え、
その間、多くのお客さんから代金を頂いたという立場を考えたならば、
そんな、「単なるオーナーの思い出作り」、みたいなことは言わないで欲しいと思いました。

極端な話、だったら最初から完全なるボランティアで、
全メニューを無料で提供した方が、本人としてもよっぽど充実感があったんじゃない?、と思ったくらいです。


そして、云わずものがな、軍資金の60%以上を借金で用意した人の場合、
スタートして2年間の連続赤字(目安として年間30万円以上)の時点で、即刻廃業だと思いますし、
その方が幸せだと思います。

一概には言えませんが、とくにテナント経営の場合、
延命措置のための新たな借り入れ行為は、余計に傷口を広げるパターンが多く、
仮に、その後、運良く、商売上向きになったとしても、
その利益は、過去につくった決して少なくないであろう借金返済のために消えていきます。

こうなると、そのぶん、どこかで、なんとか、余計に利益を搾り出そうとして、
結果的にお客さんにシワ寄せが行く場合があり、それを察知したお客さんの足が余計に遠のく、
といった目も当てられない悪循環を招きます。

これは僕の経験値でしかありませんが、
客席数50席以下の飲食店の場合、「借金なんか早く返してしまった方がいいに決まっている」、と思います。

世の中には、「借金も財産のうち」、みたいな言葉がありますし、
「借金があったからこそ頑張れた!」、という人もみえます。

たしかに僕も、独立後の3年間くらいは、
はたして本当に完済できるのか?と毎日不安でしたし、そのために頑張れたというのも事実です。

しかし、逆に言えば、「借金がないと頑張れないのか?」、と思いますし、
それではいつまでたっても生活、経営は楽になりません。

そして、なにより、独立開業し、その後なんとか頑張って借金を完済すると、
そこには全く新しい世界が見えてきます。(笑)これホントよ!
変な話、周囲の人も見る目が変わってきますし、最も顕著なのが銀行です。

当たり前の話ですが、貸すときは、完全に向こうのペースで、
担保、保証人、必要とあらば火災保険質権設定、そして利息をしっかり取って、
いかにも「貸してやる風」な対応なのですが、(※全ての銀行がそうだとは言えませんが)
今度は、向こうから頭を下げて「借りてください」とやってきます。

まあ何にしても、経営の全てが自己資金でまかなえるようになると、
オーナーの考え方にも断然余裕ができますし、転ばぬ先の杖を何本も用意できるようになりますし、

それでいて、とんでもなく非現実的な店舗展開を考えたり、
本業以外の儲け話にうつつをぬかさない限りは、
必要以上の利益は要らなくなり、それがそのままお客さんに還元できると思うので、
結果的に、みんなが笑顔になるのでは?、と思います。





とにかく、5年目を迎えるという事は、極めて大きな壁で、事実、その多くの飲食店は乗り越えられません。

ではアドレナリンはどうであったか?

おかげさまで、幸運にも、名古屋時代のアドレナリンは、予定通りの借金返済はできましたが、
しかし、この先10年、20年、30年と考えると不安だらけでした。

僕のやりたかったことを、ある程度、
この名古屋アドレナリンで、達成できていれば良かったのですが、
残念ながら、まだまだやり切れていない感、もっとやりたい感、やれる感、の方が強かったのは事実。

よって、「移転」、は避けて通れなかった道だと思います。











第7弾/2002version。

僕が、「アドレナリン移転」に関して、公表し始めたのはこの頃だったと思う。

すると、なんやかんやで5名くらいの人から、「じゃあその後に入ろうかな?」、との話を頂いた。

さらに、今使っているアドレナリンの備品について、(調理器具、オーディオ、空調設備、テーブル&椅子など)、
できれば安く譲ってくれない?、とのオファーもあり、いちおう僕なりに見積書を作って数名に渡した。

反応は様々だったが、オファーをくれた全員に共通していたのは、
「飲食店経営は未経験」、「現在はなんらかの事業主で、最低でも年収1千万円以上あり」、
「この物件に関してはあくまで副業的な運営」、というスタンスだった。

さらに、「ぶっちゃけ、マスター、やっていけてるの?」、との、ド真ん中、直球勝負を投げてこられたが、
まあ、素人の方にとっては、一番聞きたいのはソコだと思うので、正直にこう答えた。

夫婦ふたりが、月/26日間みっちり働いて、なんとか食っていけて、
なんとか店の借金も返し終わって、小銭でベックをいじって、ユーノスも維持して、
自宅と店舗のW家賃を支払うと、あんまし残らないよ。

というと、ほとんどの人が絶句していた。(笑)

そりゃそうだと思う。
はっきり言って、飲食店経営なんて超・薄利多売なわけで、
身を粉にして、指紋が無くなるくらいまで皿洗ってナンボの世界。

デスクに座って電話のやりとりで成立する業種ではないし、
インターネットで、バカスカ商品が売れて行くような効率の良いシステムでもない。

来るか来ないかわからない、お客さんのために毎日店を開け、準備をして、
コーヒー1杯売って400円の世界。

それはまるで、砂場の砂を、ティースプーンで1杯1杯すくって自分のバケツに入れるような感覚だと思う。
スコップも、シャベルも使えない。
冷静に考えると、ほんと、陽が暮れてしまいそうな効率の悪い世界だし、
本当に好きじゃないとやってられない。

案の定、「ポスト・アドレナリン」、を考えていた人たちの表情が、みるみる溶けていくのがわかった。

もちろん、理想としては、アドレナリンのことをよく知ってくれているお客さんが、
キープコンセプトで引き継いでくれたとしたら、願ったり叶ったりだけど、
現実はそんなに甘くないと思っていたので、正直、やっぱしなあ〜、であった。














2003年7月29日 (火)/そして、ついにやって来た、名古屋アドレナリンの最終日!
これは、嵐の過ぎ去ったあとの風景。おそらく日付は変わって30日 (水)のAM2:00ごろやね。

この半年間、カミさんは出産/育児のため、戦線離脱。
よって、僕一人でアドレナリンを切り盛りしてきた。
その間、メニューにあった自家製ケーキは、なんと全て僕が作った。(笑)
出産準備のため里帰りをする直前に、カミさんから教えてもらい、なんとか合格点をもらい実践投入していた。

これは料理全般に言えることだが、ある意味、「化学」、やね。
例えば、パスタで最も簡単なぺペロンチーノだって、ベーコン、にんにく、赤唐辛子、オリーブオイル、を、
全部いっぺんにフライパンの中に入れて加熱したって、出来るもんじゃない。

しかるべきタイミングで、材料を投入していき、オイルの温度を気にしながら、調節しながら、
フライパンの中で起こる化学反応を確認しながら、仕上げていく。

ところが、ケーキなどの製菓は、もうそれ以上に、完璧に、化学の世界。
小麦粉、砂糖、バター、メレンゲ、甘味料などの下ごしらえをしたら、型に流し込んで、あとはオーブンへ。

あとは、ただ、待つしかないし、結果も、成功か、失敗かのどちか。
料理のように、途中で火加減を調節したり、味見をして塩を加えたりはできない一発勝負。

仮に、それは、失敗してしまったぺペロンチーノがあったとしても、
あくまでぺペロンチーノという範囲内に収まる評価だと思う。
だって、具が、にんにくと、赤唐辛子しか入っていないパスタを食べれば、
旨い不味いは別にして、誰だってぺペロンチーノを認識することが出来ると思うからね。

しかし、失敗したシフォンケーキというのは、絶対にシフォンケーキとは思えない。(笑)
予定通り膨らまなければ、単なるスポンジケーキ?、もっと酷ければバウンドケーキなの?、となる。

正解が1つしかないのが製菓。
作り手によっては、それぞれの正解があるのが料理、となる。

まるで、理数系、と文系、の違いのようであり、
それがそのまま、われわれ夫婦の違いである、ということを再認識できた出来事だった。

よって、正直、あまり、僕は製菓に向いていない。ということが分かった。(苦笑)


こうやって見ても、あまり最終日のどっかーん!みたいな盛り上がり感を感じないよね。

たぶん、それは、僕の心理状態がそのまま出てるんだと思う。
お客さんにしてみたら、もうこれで終わりなわけで、うおーし!盛り上がるぞおおおおお!って来てくれたと思うけど、
正直、僕にしてみたら、今日の営業もキッチリ終えて、明日から始まる撤去作業もすでに視野に入っている、
みたいな状態なんだよね。

とはいえ、もう明らかに普通じゃないわけ、みんな。(笑)
もうさ、完全にお別れムード一色なんだよね。
今まで一回もそんなことなかったのに、みんな、しみじみ、天井とか、壁とか、床とか見ちゃってさ、
タバコ吹かしながら「いや〜あ〜」とか言ってるんだよね。

そんなん、僕にもビンビン伝わってくるわけじゃん。
なんかー、ホロリときたね、正直。(涙)

けどさ、ゆーても、僕一人しかいないわけじゃん。
追加オーダーが入れば喜んで作らないといけないし、
ざっとテーブルを見回して、下げるべきグラスや食器があれば下げてきて洗うしで、
なんといっても、あと一ヶ月もしたら中津川でブランニュー/アドレナリンがオープンしてるわけじゃん。

だから、どーしても、ここが終着駅だとは思えず、単なる通過点としか思えなかったんだよね。

だから、どの画像を見ても、洗っていない食器が散乱することなく、フツーに片付いているんだと思う。

それがビジュアル的に、あまり、盛り上がり感を感じさせないんだろうと思う。

実際には、ハチャメチャだったけどね。(笑)


中津川アドレナリンの設計図、申請書、銀行融資に関する書類、
この先一ヶ月間でやらなくちゃいけないことがビッチリ書き込まれた目眩がしそうなスケジュール表、
などで、ごった返す僕のワークスペース。

この狭い、薄暗い机上から、今のような”大自然の中のアドレナリン”を無理矢理?イメージしてましたね。

いっそ、店名も変えてしまえば楽だったかも知れないけど、
どちらかと言えば、都会的でサブカルチャーな雰囲気をもつ「アドレナリン」という響きの店名を、
一転、今度は明らかに牧歌的なロケーションの中で使うその違和感たるや如何に・・・。

けど、アドレナリンという店名には並々ならぬ愛着があったし、そう簡単には捨てられない。

もともとアドレナリンを名付けた理由は、
まず第一に、声に出した時のインパクト、
そして、やはり何らかのかたちでクルマとの関連性を持たせること、
そして、おそらく、過去に飲食店名として使用されていない(であろう)、ということ。

これらの条件は今も変わっていないので、あえてこの時変える必要は無し!と判断。

そこで考えたのがイメージカラーの変更。
ブルーだった名古屋時代に対して、あえて反対色の中から選ぼうと決めていた。

そんなある日、何気なく送られてきたDM(ダイレクトメール)を見て、
↓こんなんが目に飛び込んできたっ!


















現行マーチ(K−12型)のパンフレット。
これを見た瞬間、素直に、「あ、これだ。」、と思った。(笑)

そして、速攻で、友人のグラフィックデザイナー/山田氏の事務所へ転がり込んで、
「このオレンジに近い色が欲しいで、ちょと色見本みせて〜」、と。

で、曲がりなりにも、デザインを勉強していて良かったな〜、と思ったのはここからで、

まず手に取った色見本は、
大日本インキ化学工業が発行する、DICカラーガイドの「日本の伝統色」というシリーズの色見本。

この中から、あの中津川の四季と、景色に、似合うオレンジを探せば、
アドレナリンという店名が持つ、「ある意味、尖った部分」、をうまいこと緩和させてくれるだろうと思ったし、
周囲との調和も取れると思った。

色のもつイメージ、全体の統一感、目の動線、といった極めて感覚的なことを、
僕は高校時代、嫌というほど勉強させられた。
”勉強させられた”とは何事か!と、当時の先生らに叱られそうだが、
ほんとうに明けれも暮れても、色、形、バランス、といった事について徹底的にレクチャーを受けた。

その結果、卒業後20年が経過した今でも、
何かを作る際には、必ず、あの頃、訓練されたデザインの思考回路が働きだし、
自分のイメージしたものに限りなく近い物を手に入れることが出来るようになった。
(ホント、先生に感謝です。)

そして僕が選んだ、中津川アドレナリンのイメージカラーは、
N−743/柑子色(こうじいろ)、というオレンジ色。

これは、もともと和風な色なので、似合わないはずが無い。
そして、Cafe Adrenalineを白抜きにすることによって、より温かみのあるイメージを演出した。


本当によく通ってくれた美容師の二人。
どかな?、今ごろ、念願だった独立を果たしているかな?


これら最終日の撮影をしてくれたのが、右/蒲野氏。

正直、さすがに、もうクッタクタに疲れた状態やね。つーか、髪、長っ!(笑)左/僕。


第8弾/2003version。

こうして、着々と、中津川アドレナリンのイメージが作られていきました。

営業時間を示す「afternoon-midnight」、正直どんな風になるか分からなかったので、あえて曖昧に。(笑)
実際には、AM9:00〜PM9:00になりました。




第9弾/2004version。

この頃、お客さんのリクエストに応えるべく、お得感のあるセットメニューとして、
A/ピザセット、B/パスタセット、C/ピザ&パスタセットの3種類を開始。

AM9:00〜PM9:00までの営業時間であれば、お一人様/1,500円で、
自家製ピザ、日替わりパスタ、サラダ、デザート、お好きなドリンクが付くという内容。

一見、「1,500円なんて、全然お得感ないじゃん!」、と思われるかもしれないし、
「まして、こんな田舎でランチに1,500円も出す人おらんやろ」、と言われたこともあったが、
移転してからの数ヶ月間、僕は、頻繁に周辺の飲食店のランチを食べまくり、
そして、普段の営業の中で、お客さんの動向を見て判断した事だったので、とくに不安は無かった。

そして時々、名古屋時代の同業者らと電話で近況報告を交わすことがあったが、
「1,500円ランチ?強気だね〜。それでお客さん来るの?」、と半分不思議がられ、半分笑われた。

つまり、メインである食事さえしっかり出していれば、
あとのサラダ、デザート、ドリンクなんか大して重要ではないし、別に出さなくてもいいし、
そのぶん少しでも安くして提供して、もっと回転率を上げて、ヘタに雑誌なんか置かずに、
テーブルも椅子も小さくして、窓の景色?はあ?なんじゃそれ?
そんなん見るために1時間も2時間も長居されたんじゃあ儲からねえぞ!
との見解だった。

「だったら、お前さんの店はそれで儲かってんのかよ?」、と聞くと、

「だっから分かってないな〜、お前、商売そんな甘いもんじゃねーんだって!」、との回答だった。

まあ、ある意味、そういった考え方は今でも主流だと思う。

回転率を上げる、もしくはそれを気にするということは、
要は、お客さんに食べたらさっさと帰ってね、と言っているに等しいと思う。
決して、「から揚げ定食/800円デザートドリンク無し」の店を否定するわけではないけど、
やはり、その店舗の立地条件や、キャラクターなどを考えると一概には言えないし、
まして個人経営の場合、あまり回転率を重視しすぎると、生命線とも言える「常連客」に恵まれないと思う。

そして、何より大切なのは、回転率よりも利益率。
これについては、いろんな角度から考えてみる必要があると思う。

僕自身にそうだけど、自営のオーナーというのは、けっこう自分自身に甘い。(笑)

まず、(多少の痛みは伴うが/笑)、自分の生活にメスを入れてみて、
無駄と思えるような出費を発見し、取り除く、という所から着手したい。

それが早期発見であればラッキーだし、
何十年も放置すれば、「あ〜あ〜、あの金で新車のベンツが買えたのに〜」、なんて話も無くは無い。

で、次に、ようやく店、または運営するにあたって無駄は無いか?、と調べてみる。

これに関して重要なのはバランス感覚。

お客さんから見て、あきらかに店側がコスト削減に躍起になっている風に見えるのはペケポンだし、
さりとて、採算度外視の過剰なサービスで経営を圧迫していては本末転倒。
その時々の空気を読みながら、無駄、必要、を判断するしかない。
また、判断に迷った時は、あえて、「しばらく泳がしておく」、という措置もある。

個人経営の場合、
店の利益を考え、それを深く掘り下げていくと、
”公私混同の部分”が、せっかくあげた利益タレ流しの根源だったりする。

これに気付かず、利益追求の全てをお客さんの財布に頼るのは、なんとも情けない。

ああ、経営って難しい。



第10弾/2005version。

”中津川アドレナリンは昼間(ランチ)の店”、というのが完全に定着した頃。

営業時間はAM9:00〜PM9:00までだったが、
おかげさまで、一日に必要な売上げのほとんどを昼11:00〜14:00の間でクリアできていた。

移転してからというもの、「いったいこの先、何をメインに売上げを作っていったらいいのか?」、
ずっと模索していたので、とりあえず、ひと安心だった。

だが、もう、そこには、
かつてのような、”我々夫婦2人で釈迦力に働いて・・”、という次元の忙しさではなく、
もう明らかに、人手不足、という現実があった。

よって、2003年11月から、アルバイトスタッフを雇い、
とくにランチタイムは、彼女らの協力無くしては、営業が成り立たない情況となる。

客観的にみれば、「そりゃ有り難い話じゃない」、となるが、
実際問題、これはこれで大変だった。

ひとくちにスタッフと言えども、十人十色。

女性であることは共通だったが、
既婚か?未婚か?で、まず大きく違うし、
学生か?、全く働いたことのないフリーターなのか?、主婦なのか?、
の違いが、とりあえず仕事の説明をする上でスタートラインが違ってくる。

0からの説明が必要なのか?、3からでいいのか?、いっきに8くらいまで理解してそうな気配なのか?
などといった事を、面接中にチェックさせて頂く。

その後、採用となれば、即実践となる。

ほとんどの場合、初日からスイスイ働ける人はいないので、
右往左往しながら、ミスを連発しながら、僕からの注意を受けながら、仕事をこなしていく。

ここで重要なのは、その人のキャタクターをよく見ること。
接客技術うんぬんよりも、その人が醸し出す雰囲気がアドレナリンとマッチしているか?ということ。

これに関しては、100%僕の主観でしかないので、
どういう状態がマッチしているのか?という定義はないが
過去の例をとってみても、これが一番的確に、
その人と、アドレナリンとを結ぶ将来性を予想する判断材料となる。

とは言え、先にも述べたように、そこも十人十色。

いくらアドレナリンの雰囲気にマッチしてくれたとしても、
笑顔とやる気をストレートに表現できて、お客さんに「絶大な安心感」をあたえる人もいれば、
全くそうではないけど、与えられた仕事をキッチリこなして、僕から見て「抜群の安定感」を示す人もいる。

かと思えば、同じミスを何回も繰り返したり、直接お客さんにご迷惑を掛けたりしつつも、
そのリカバリーが異常に上手かったりして、思わず僕も注意し難くなるようなキャラの人もいる。

こうなると、スタッフ全員に対して、
僕が「頑張れ」みたいな曖昧なことを言っても、受止め方は様々だし、
とうぜん僕が、彼女達にリクエストするものは一人一人違ってくるので、
なにかしら注意をしたり、アドバイスする時には、それなりに言葉を選ぶし、
神経を使うので、できるだけ個別に伝えるようにしている。

そして肝心なのは給料の問題。
最初の3日間くらいは、正直こちらが頂きたいくらいなので時給600円からスタートし、
その後、とりあえず言われた事は出来るようになれば700円。

しかしこの間、70種類近くあるドリンクのレシピを全て暗記してもらい、
マニュアルを見なくても短時間に美しく作れるようにならないと次のステップに行けない。

ところが、実践では、4種類のドリンクを同時に、一人で作るなんてことは当たり前で、
カプチーノを作りながら、ロイヤルアイスアップルティーを作りつつ、
ココア・ビターと、キャラメルミルクフロートを仕上げなくてはいけない、
という気が狂いそうな複数オーダーもクリアしないといけない。

しかし、これが出来たからと言って、お客さんに褒めてもらえるわけでなく、
できて当然としか思われない。いや、それすら思われないだろう。
多くのスタッフが最も長く苦しいと感じる時給700円時代。

時給800円になると、ドリンク4種類を同時に作りつつ、
レジも打ちながら、ノーミスで接客をし、時には僕の(厨房内の)仕事までアシストし、
それでいて笑顔にゆとりがあり、おまけに新人スタッフの指導までキッチリやって頂く。

物覚えの速い人、もしくはカフェ業に向いている人なら、ここまでわずか2週間で到達する。
おそらく、そういう人は、このような仕事が楽しいと思うと思うし、
そうじゃない人は、「また何か別のバイトでも探そっかなあ」、と思うと思う。
人にはそれぞれ向き不向きがあるので、僕はそれでいいと思っている。

そして、現在最高ランクの時給900円は、勤続1年以上のキャリアに対する、僕からの敬意の証である。
そして、特に忙しかった日は、(あくまで僕の判断でしかないが)、
時給に100円が加算され、なんと時給1,000円となる。
ピザとパスタの注文さえなければ、僕がいなくても、この人だけでやっていける、という信頼の値段。
日々、自己反省しながら、僕からのアドバイスは最小限にとどめることのできる人。

そして、これは全スタッフに共通だが、交通費の支給もある。
まあ、事実上ガソリン代なのだが、ただし金額には多少の差があり、
時給700円までの人は1,000円で、800円以上の人は2,000円の支給という設定にしてある。

ボーナスは、5月のゴールデンウィーク/8月のお盆/12月の年末、の年3回。
金額こそ大したことは無いが、他の飲食店アルバイトではあまり貰えないと思うので喜んで頂けると思う。

以上、これがアドレナリンの雇用システムの一部である。
全てにおいて、貢献してくれたスタッフに関しては、それなりに手厚いシステムだと思うけど、
何らかの理由で、実力を発揮できなかったスタッフにとっては、なんともドライなシステムに感じると思う。

しかし、働くということは、そういうことだと思う。プロセスも大切だが、結果が全て。







第11弾/2006version。

大方の予想を裏切り(?)、よくぞ10年も続けることができたと思う。

1996年/オープン当初、「天白(区)で、変なクルマが置いてある喫茶店ができたらしいぞ」、
という噂が広まったようで、名古屋市周辺の外車系中古車屋さんがちょくちょく来てくれていた。

その中でも印象的だったのが、
身長1m80cmくらいありそうな、まるでモデルのような60歳くらいの熟年男性だった。

開口一番、「あなた?ここのオーナーさんは」と、ソフトな語り口で、カウンター席に座り、
はいそうです、と答えると、
「僕もね、昔こんな感じの喫茶店やってたからさ、いやあ〜懐かしいなあ〜」、とおっしゃる。

どちらでですか?と尋ねると、「すぐそこだよ」と指差し、
「ジングウってご存知?」と聞かれ、ああ、あのポルシェ屋さんの?、と言うと、「そうそう」と頷かれた。

「ガレージ・ジングウ」、http://www.jingu.co.jp/
東海地区のみならず、全国的にも有名な中古ポルシェ/ベンツ/フェラーリを扱うショップの代表、
大野氏であった。

こういう表現は大野氏に叱られそうだが、
はっきり言って、普通の人には敷居が高くてちょっと入りづらいくらいの立派な店構えである。

なぜならば、常時20台以上のポルシェ/フェラーリが展示してあり、それがいつもピッカピカで、
800万円だの、1200万円といったプライスカードが添えられており、
ガラス張りの商談スペースにはゴージャスな革のソファーが何セットも置いてある。

さらに自社の整備工場も近くに用意されているので、
店の前でオイル交換をしたり、といった汚れ作業と伴うフレンドリーな雰囲気は一切無い。

ショールームはあくまでショールームとして清潔に機能し、
せいぜい洗車やバフ掛けといった”お化粧直し”程度の作業が行われるだけである。

それは、まさに正規ディラーさながらで、
これだけのショップを一代で築き上げた大野氏はまさしく、この辺では”帝王”だった。



「僕の時はね、当時乗っていた赤いポルシェ911(930系)を店の中に置いてね、
ほら、昔、百恵ちゃんの歌であったでしょ、あのおかげで売れてね。
でまた買ってきて、また置いての繰り返しでさ。で、結局ポルシェ屋さんになっちゃった。」、と氏。

・・・なっちゃったって(笑)、と思いつつ、
コーヒーを飲み乾され、「頑張ってよ、ね、10年、20年、頑張ってよ!」、と励まされ、
紺色のメルセデスベンツ450SLに乗り込まれ、帰っていかれたことを今でも覚えている。

正直、かっこいい、としか言いようが無い人物だったし、
当時の僕にしてみたら、まるで宇宙人がUFOに乗ってどこかへ飛んで行くような、
そんな現実感の無さを感じた。













ま、僕もいつか、どこかで、
「変なクルマが置いてある喫茶店ができたらしいぞ」、との情報をキャッチしたら、
すぐさま駆けつけて、そこの兄ちゃんにこう言ってみたい。

「頑張ってよ、10年、20年、頑張ってよ!、俺も頑張るから!」、と。(笑)


















※10年かあ〜、けど、長いなあ〜、長いぞお〜。
















第12弾/2007version。

この年の2月、以前から気になっていた、長野県駒ヶ根市にある「カフェ・グース」に行ってきた。
http://www.k5.dion.ne.jp/~goos/index.htm

この時、すでに20周年を迎える同店は、言うまでもなく、
現存するクルマ好きオーナーが経営するカフェとしては老舗中の老舗である。

中央道/駒ヶ根インター下車、すぐのメイン通りを走っていくと、
ごちゃごちゃした店舗などが立ち並ぶ中、突然広がるここはヨーロッパか?感。
「やられた〜」って感じでしたね。

25台分の駐車場は、すべてレンガ敷き。
もうこれだけで工事費用1千万円はするんじゃないの?っていうくらい素晴らしい仕上がり。

なぜならば以前、アドレナリンも200坪の駐車場を全面舗装計画したことがあり、
第一希望だった、僕がデザインをしまくり一部にレンガと芝をあしらった耐久性に優れたコンクリート舗装だと
総予算500万円は下らないと言われ、速攻で聞かなかったことにしてもらい、
さらに妥協して、一番安いアスファルト舗装で見積りをお願いしたところ、最低でも250万円は掛かると言われ、
気絶しそうになったことがあるので、路面舗装の値段に関してはある程度把握していた。

だから、この駐車場を見ただけで、ここのオーナーの経営者としてのレベルの高さを見せ付けられた気がした。


↓これはその駐車場での風景。

はじめて見るシトロエンDSに興奮気味の陽介。
この日はたまたま4歳の誕生日を兼ねてという事もあり、
ふだんの外食の時には滅多に注文してもらえないジュース、
しかもクリームソーダを飲んだ直後で、テンション上がりまくりの状態。

店舗の外観も、「よく作り込んであるな〜」と言う感じだった。
たぶん、クルマ好きのお客さんから見たら、思わずニンマリしてしまうだろう要素に溢れていたし、
何より、20年という歳月が刻んだヤレ具合というのは、ちょっとやそっとじゃ真似できない風格があった。

客席は62席。
店内のいたるところに膨大な量のミニカーが積んであり、
置いてあるクルマ雑誌も、そのへんの本屋顔負けの品揃えだった。

メニューがこれまた圧巻だった。実はこれが一番度肝を抜かれた。
要は、何でもありで、和風ハンバーグ定食などの各種定食、
オムライス/カレーライスなどのご飯もの系、スパゲッティ系、
デザートも、ケーキ、パフェ、と、いった、
決してネガティブな意味ではなく”古き良き昭和時代の喫茶店メニュー”が完全に網羅されていた。

僕は和風ハンバーグ定食と、かみさんと子供はカラ揚げ定食を食べたが、どちらも手作りのように感じた。
逆にこれが既製品だったとしたら、そのメーカーを表彰したくらいの”オカンの味”だったし、美味しかった。
そしてまたライスが強烈で久しぶりに見た”模範的などんぶりめし”だった。
値段はたしか1300円くらいで、食後にちょっとしたデザートとドリンクが付いていた。

おそらく、これは、日々の営業の中で、お客さんのニーズに応えていった結果ともいえるし、
その姿勢がそのまま20年周年を裏付けるポイントだと解釈した。

つまり、ウチもそうだが、こういった趣味性の高く、それでいて、比較的客単価の低い飲食店というのは、
いかにして平日の売上げを確保するかが生命線。

いくら週末に、駐車場がスポーツカーで埋め尽くされようと、
客観的に見て「あの店はスゲーじゃん!」と思われようとも、
それがちゃんと利益として残るかどうかは、平日の売上げ次第。

平日の営業で出した赤字を、週末で補てんするような経営では、全然楽しくないし、
生きた心地がしないし、それでは絶対に20年はもたない。

僕自身、頭では理解しているつもりだったが、実際にこうして目の当たりにすると、
この先10年のアドレナリンの未来予想図にも、少なからず何らかの影響を与えたことは確かだった。

それが”アドレナリン自家製和風ハンバーグ定食!”といったカタチで表現されるかどうかは分からないが、
日々の営業の中で、お客さんのニーズをひとつひとつ拾っていくことの大切さを再認識できたことが嬉しかった。














こうして今回は、断片的に、短いエッセイを繋げて、その時々を振り返ってまいりましたが、
とりあえず、今後の目標の一つとして、「カフェ・アドレナリン.20周年を皆さんと一緒にお祝いしたい!」、
というのがあります。

それは単に、年月としての20年だけではなく、一見さんから見ても、常連さんから見ても、
「この店はダレてないな」、と思ってもらえる内容をキープすることが最大の目標であります。

つまり、悪い意味での「老舗≒惰性」を感じさせることなく、
いい意味で、「毎日が崖っぷち!」、という気持ちで続けていきたいと思っています。

「部屋とYシャツと私」、じゃなかった、
「明日とお客さんと私」、の精神を忘れることなく!(笑)









カフェ・アドレナリン./水野雄一







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