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web Cafe Adrenaline vol . 27

2004 元旦 update since 2000


a happy new year元旦より休まず営業です


 2003年は自分にとって、

1月は、難航するニューアドレナリンの移転計画がいよいよ最終段階に入り、
打ち合わせのため名古屋〜中津川を、アルピーヌV6ターボで何十回と往復し、
産休でカミさんが抜けたあとの店を、たった1人で営業し、
理解あるお客様に助けられながら、なんとか乗り切ったのでありました。

2月は、長男/陽介が誕生し、
ようやく自分も父親になったという責任をひしひしと感じつつ、
ユーノスロードスターの助手席および
アルピーヌの後部座席に装着可能な
恐ろしく小さなチャイルドシート(中古/ドイツ製)を購入し、
どさくさにまぎれに10日違いで妹の長女も誕生しつつ、
しかしながら相変わらず深夜のお客さんは多く、猛烈な睡魔に襲われつつ、
このころ正規輸入が始まったランチア・テージスがどーのこーの言いつつ
午前3時まで、理解あるお客様に助けられながら、なんとか乗り切ったのでありました。

3月は、愛人のアルピーヌばかりにに熱を上げていたら
本妻のユーノスロードスターの怒りを買い、
私をなめんじゃないわよ!とでも言わんばかりに
交差点のド真ん中で、点火系のクランクアングルセンサーがいきなり壊れ、
なんだかんだで7万円という手痛い出費をしいられつつ、
理解あるお客様に助けられながら、なんとか乗り切ったのでありました。

4月は、先月受けたバチを反省することもなく、
我が家で唯一の4人乗り、
いよいよ本妻に昇格か?との期待がされるアルピーヌが、
きたる夏に備え、エアコンのクーラーガスを補充したところ、なんとコンプレッサーが作動せず、
ざっと見積もって20〜30万円の修理費が必要と判明し、
水野家で緊急予算会議が開かれ、結果、
今のウチの予算では修理代の捻出は不可能との結論に達し、売却が決定。
これまで、いろんなお客さまに助けられてきましたが、こればかりはなんとも乗り切れませんでした。(笑)

5月はとんとん拍子にアルピーヌの嫁ぎ先が決まり、新しいオーナーにキーを渡しつつ、
代わりにやって来たのが、今後、カミさんの足として活躍が期待される
スバル・ヴィヴィオ・ビストロ(もちろん中古)。
そして、いよいよ銀行からの融資も許可が出て、地鎮祭、建て前と、とにかく儀式が目白押し、
で、施工会社との契約書にサインをし、もう泣いても笑っても後戻りは出来ない状況となる。

6月は、新店舗&新居に必要な買い物をしまくった。
オーディオ店へ行き、メーター千円のJBLのスピーカーケーブルを40mください、
って言ったらビックリされ、
インテリアショップで気に入った照明スタンドがあったんで、これ7個下さい、
って言ったらビックリされ、
新店舗の看板は全部自分で書くと決めたので、看板屋へ行き、トタン板(180cm×90cm)を
10枚下さいって言ったらビックリされ、
ついでにニューアドレナリンのイメージカラーである
オレンジ色のペンキもオーダーして大量に作ってもらったら「あんた本気だね〜」と感心され、
今度は墓石屋へ行き、ピザを練る台に使う石の板を作って下さいって言ったら、
いきなり中国に電話してくれて、来月には届くよと有難いお言葉をいただき、
それでも夕方には店のシャッターをガラガラと開けて、
いつものマッタリとした雰囲気の営業をはじめつつ、
カウントダウンを噛みしめるのであった。

7月は、いよいよ名古屋アドレナリンが閉店。
当初、なんの根拠もなく10年くらいはこの店で頑張ろう、と思って始めたのですが
6年10ヶ月という、長くもあり、短かったいような、
そして、思い出のいっぱい詰まった店にピリオドを打った。
多くのお客さんに「俺たち、明日からどこへ行きゃーいーんだ」、とか
「ここはここで残すべき!」などの有難いメッセージを頂きました。
惜しまれながら去る、
これぞ、名古屋アドレナリンに対する、お客さんからの評価であったように思います。
あらためて感謝です。

8月は、いよいよ念願のニューアドレナリン&新居が完成し、店と自宅の引越しを行った。
その荷物たるや、軽トラックが1台と、4トントラックが2台と、7トントラック1台、という膨大な量であった。
これをアート引越しセンターは、総額13万円という破格のプライスでやってのけた。

住み慣れた名古屋を出て行くときの心境は?と聞かれれば、、
実はこれといって無い。
おそらくこれが北海道へ引越しともなれば、
次いつ来れるかわからない、という不安から
寂しさも倍増するのだろし、まさしく「お別れムード」も盛り上がるだろうが、
たかだかクルマで1時間のとこへ移り住むくらい大した問題じゃない。

それよりも、あと20日間でニューアドレナリンを仕上げなくてはいけないプレッシャーの方が怖い。
内装の細かい部分は全て自分でやると決めたので、
なにがなんでも間に合わせなければマズイ。
それ以外にも、人任せに出来ない重要な仕事はてんこもりあるし、
お役所がらみの手続き&申請もある。
とてもじゃないけど、マイホーム&カフェの完成に酔いしれる余裕はなかった。

そして蒸し暑い夏の日の午前中、
新居で荷物の整理に追われていたある日のこと、

突然の訃報が舞い込んだ・・・・。
高校時代からの友人が自らの命を絶ったとの知らせ・・・。
頭の中が真っ白になった。
なぜだ・・・

翌日、お通夜に出席。
同級生、友達、親族など、多くの人が駆けつけた。
意外に思ったのは、若い女性が多かったこと。
浮いた噂の全くなかった彼だったが
案外、交友関係は広かったようで、
あらためて彼女たちの悲しむ姿を見て、
俺の知らなかった彼の側面を見たような気がした。

喪主は、彼の父親だった。

憔悴しきった表情で、我々に頭をさげられた。
まさか息子の喪主を務めるなんて思いもしなかったであろう・・・。
棺の中に横たわる彼を見たとき、
不思議なもので、彼が死んだという実感がなかなか湧いてこなかった。

しばらくしたらまた会えるんじゃないか、とさえ思えた。

たぶんそれくらい、その時の自分は疲れていたのかも知れない。

享年34歳。
冥福を祈る。

そして
その10日後、
無事、中津川アドレナリンがオープン。

正直、気持ちの中では、まだもやもやしたものがあったが、
お祝いに駆けつけてくれたお客さんには何ら関係の無いことだし、
いま自分がやらなくちゃいけないことは、笑顔でコーヒーを入れ、
ピザを焼き、お客さんと楽しく会話することだ、と言い聞かせ、なんとか乗り切った。

いや、なんとか乗り切った、なんて表現はせっかく来てくれたお客さんに対し失礼だから
いつもの営業に徹した、という方が正しい。
とにかく2003年8月は、自分の人生において大きな節目であったことに間違いない。

9月は、地元のお客さんのニーズから、
アドレナリン史上・初となる「モーニングサービス」を開始した。
よって営業時間もam9:00〜pm9:00に変更。
そして当初は、ドリンク主体のメニューでいくつもりだったが、
これまた地元のお客さんのニーズにより食事メニューも追加した。

まあ実際の営業なんて、フタを空けてみなければわかりませんな。
とにかく自分は現場主義で店を運営しているので、
「予定変更」なんて当たり前。

そうやってお客さんが残していったコメントを一つ一つひろって、
それを実現化していくのが自分の仕事ですから。

お客さんが何度も通ってくれるにつれ、、
少しづつアタリが付いてきて「居心地の良い空間」ができてくる、
ということをお客さん自身が気付いてくれればコミュニケーションが成立したと思える。

名古屋で培ったスキルなんて、
こっちでは全く役に立たない部分もあったぞ、
ということを勉強できただけでも9月は有意義だった。

10月は、クチコミもさらに広がり、団体予約も入ったり、
おかげさまで忙しい日々を送られてもらいました。

いつだったかな〜、夜7時ごろかな、
遠くから地鳴りのような爆音が近づいてきて、
そしたら名古屋時代からの常連さんが、
ルノー5ターボ軍団(クリオ・ラニヨッティ仕様2台を含む)総勢11台を引きつれ
ビボボボオオオオオオオオオオ!と参上!

ツーリングの帰りのようで、「なんか食べる物できる?」
っておい!
前もって電話くらいしてよ!と思ったが、あとの祭り。
とりあえず大急ぎでパスタ11人前をつくり、コーヒーを入れ、デザートをお出しした。(笑)

気がつけば、
アドレナリン7周年、
結婚して9周年を迎えていた。

11月は、地元のローカル紙に紹介され、
これが世にいうブレイクというやつだろうか。
連日、問い合わせの電話が鳴り、来客数も増える一方であった。

さすがにサービス体制にも限界が生じはじめ、これは困ったな思っていた矢先、
「アルバイトの募集はありませんでしょうか?」との電話が入った。
実は、こっちへ来てから同様の電話は10数件あったのだが、
なんとなく気が進まず、全てお断りしてきた。

が、しかし、このままではいけない、
という気持ちも日増しに大きくなっていた。

自分の体力もじわじわと疲れが出始め、
カミさんの育児も、数ヶ月前とは比較にならないくらいハードなものになっていた。

もはや頑張る、という精神論だけでは乗り越えることの出来ない状況になっていた。

そしてこれも何かの運命なのだろうか、
アドレナリン史上・初となるアルバイトさんは
先程、電話をくれた近所にお住まいの女子高生(3年生)となった。

とうぜん学業があるので週末もしくは夕方からの参加となる。
これまでのアルバイト経験はゼロ。
一切のマニュアルは無し、
すべての作業は口頭で伝え、
なんでもとりあえずは実際にやってもらう、という、
初心者にはいささかプレッシャーの大きい、自分のやり方だが、
彼女の真面目な性格が幸いし、なんとかやってくれた。

11月30日、恒例のthisによる7周年記念ライブを行った。(詳しくはvol.26を読んで頂きたい)

12月は、雪が降ったりで、それほど忙しくはなかったが、
ふだん出来なかった雑用をサクサク片付けることができ、
また家族と過ごす時間もとれたから、結果オーライといったところだ。










総括

昨年の○
みなさんのおかげでノーミスで名古屋アドレナリンを終了でき、
ノーミスで中津川アドレナリンを立ち上げることができたこと。
&、長男/陽介が誕生し、元気にすくすくであること。

昨年の×
アルピーヌを手放してしまったこと。
友人を亡くしたこと。

2004年の抱負
予算の許す限り殺風景な駐車場に手を加えること!
予算の許す限り少しでも、より自分のイメージに近づくよう店舗の内装に手を加えること!
予算の許す限りシトロエンCX(フェイズ1)購入に夢と希望を持ち続け、スキあらば達成すること!






















今年もよろしくお願いします!










カフェ・アドレナリン./水野雄一



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